ローマ | (イタリア) |
|午前10時前 フィレンツェ駅で方向が反転したせいか、ローマ・テルミニ駅に降り立つと改札口はホームのはるか先で、長い車両の脇を歩くほどに楽しい気持ちが膨(ふく)らみ、旅情が高まる。改札を出て、そのまま地下鉄に乗り継ぐ。
今回の旅は移動が多く、しかも泊まる場所は都会なので、宿はすべてあらかじめネットで予約していた。ローマの一番の目的は他でもないバチカン博物館であるため、なるべく博物館に近くて安めの宿を選んでいた。
宿の最寄り駅をチプロ(Cipro)という。地下鉄A線でテルミニ駅から七つ目に当たる。辺りがどういう界隈かはわからないが、ローマ・テルミニ駅にわりと近く、チプロ駅から宿まで歩いてほんの五分程度というから、ロケーションはよさそうだった。
駅近の宿でありながら、グーグルマップのプリントアウトを睨(にら)んで歩いても、宿が見つからなかった。
チプロ駅を降り、大通りに沿って左側の歩道を歩くとガソリンスタンドがあり、その先に中級ホテルがある。しかし、それは私の泊まる宿ではない。私の泊まる宿は個人経営の小さいホテルのはずだった。しかも、そこまで行くと行き過ぎである。いや、グーグルマップの地図によると、ガソリンスタンドでさえすでに行き過ぎている。
つまり、目指す場所は、先ほど曲がって来た角とガソリンスタンドの間にあることになる。
何軒か並んだ商店をのぞき込んでも、宿らしいものはない。脇道に入り込んで宿の入口や看板を探しても、ない。
五十メートルほどの間を何度か往復するが、徒労であった。残るは、宿と最も無縁そうなマンションタイプの共同住宅——イタリアではアパルタメントと言うのだろうか——だけになった。ヨーロッパの都会でよく見るように、部屋番号と名前のリストが入口の柱に示してあり、部屋番号の横のボタンを押すとその部屋の呼び鈴が鳴って、入居者とマイク越しに話ができるという仕組みである。いわば共同インターフォンだ。道路に面した入口に、マンションのオートロックがあると思えば近いかもしれない。
建物はどう見てもふつうのアパルタメントであり、宿泊施設を示すものは何も見当たらない。しかし、地図を見ても、また付近を何度か往復した結果から考えても、この建物である可能性がとても高い。脳内の宿のイメージと目の前に建つアパルタメントとの落差が大きすぎて、自分のなかで感覚と理屈が分断する。
一呼吸を置いて柱のリストを上から順に探していくと……あった。
宿の所在を示すものは、看板どころか、共同インターフォンの上にはめこまれた、長さ数センチのネームプレート一枚であった。
ボタンを押すと、スピーカーからおばさんのひずんだ声が出てくる。あなたとぼくをつなぐものはこの回線一本。ラブソングなら多少の情緒もあるが、この場面に情緒は無用、ここは用件を一発でクリアすべき局面である。
余計なことは言わず、用向きを簡潔に伝える。
——今晩、予約しています。
およその到着予定時間をあらかじめ日本からメールしていたので、相手もそれとわかったようで、名前を告げるとガチャリと大げさな音がして、入口の扉が解錠された。
* * *
いわゆるプライベートルームである。
自宅なのか別物件かはわからないが、そこは要するに貸間で、使っていない部屋を旅行者に日貸ししているようだった。私の部屋はすでに客が出払った後のようで用意が整っていた。大きな窓があり、明るくこぎれいな部屋だ。宿代は一泊六十ユーロもするのにバスルームが共同というのが不満だが、いまさら言っても仕方がなく、そんなものだと思うことにする。
このあとは少し休憩してから昼メシ、そして何はともあれバチカン博物館である。