来たことがあるといっても、25年前の話である。
記憶はあまりにも遠い。さりとて中小都市の駅舎の構造などどこも似たり寄ったりで、廊下を左右に五十メートルずつ往復すれば全貌が知れる。明日またここに来る保証はないため、あさっての列車の時刻を時刻表で確認し、切符売り場の場所をチェックする。
構内には売店や切符売り場やコインロッカーなど、最低限のサービスがあるばかりだが、古めかしい散髪屋の頑固な存在感が、この駅を渋いセピア調に見せていた。
クロアチアに滞在したあとはローマに出る予定になっている。途中、オーストリアの駅からローマまでの寝台列車はネットで予約してあるが、ここからそのオーストリアの乗り換え駅に行く便が未定である。短い旅とはいえ、何から何まで決めてしまうのもつまらなく、現地での気分に預ける部分がいくらか残っているほうが楽しい。
便数が少ないので選択肢は限られる。具体的には、あさっての12時30分発か18時14分発の二択である。どちらにするかは当日の流れで決めればいい。
駅の売店で絵はがきを2枚買い、駅舎の外に出る。
駅前にはトラム(路面電車)の乗降場がある。大勢の人が集まり、乗降し、散っていく。しばらく写真を撮ったあと、6番のトラムに乗って旧市街に移動する。これから夕方まで市内観光だ。
ザグレブの旧市街はこじんまりとしている。
路面電車が通る北端の通りが一番繁華なエリアになっていて、その中心にイェラチッチ広場がある。「何とかイッチ」とはいかにもユーゴっぽい名前だが、これは19世紀のヨシップ・イェラチッチ総督に由来する。実際、広場にはこの総督の騎馬像が飾られている。
当時、クロアチアのすぐ北にはオーストリア=ハンガリー二重帝国という大国があり、クロアチアはハンガリーの勢力下にあった。しかし、二重帝国とはそもそも何か?
どうやら歴史の迷路に迷い込むと先に進めなくなりそうなので、時を現在に戻すことにする。クロアチアの歴史が気になる方は、ウィキペディアの説明をご覧いただきたい(下記欄外のリンク参照)。
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イェラチッチ広場を東から西の端まで横断し、左手を見ると、聖母被昇天大聖堂の2本の尖塔がいやでも目に入る。向かって右側の尖塔は残念ながら補修中のようで、保護壁と足場に覆われた側は、まるで片目に眼帯を着けたようで痛々しい。
坂道を上がり、教会の中に入ってみる。
ガイドブックには由緒や見所がつらつらと書かれ、たしかに知識によって物の見方が深まる一方、知識に洗脳されて自分の目で素直に見ることがなくなる。この聖母被昇天大聖堂にしても、構えは立派で目を見張るものの、通路を歩いても、また長椅子に腰掛けても、気圧(けお)されるような信仰の強さを感じない。精神のエネルギーが希薄なのだった。
もとよりそれは私の一方的な感じ方にすぎないが、地元の信徒が日々祈りに訪れる場所ではないような気がする。
聖母被昇天大聖堂という名前は初めて聞くものだった。
帰国後に調べてみると、聖母被昇天というのは、聖母マリア様が死後にその肉体ともども天に召されたことを言うらしい。そういえば「フランダースの犬」のアニメでは、少年ネロが教会の床で息を引き取ったあと、体ごと天に上っていく。細部はともかく、その様子がまさに被昇天なのだろう。
蛇足ながら、「昇天」に「被」が付いて受動形になっているのは、マリア様はあくまで神ではないため、自力で昇天するのでなく、天に引き上げてもらうためだという。