聖マルコ教会はザグレブを代表する建物だ。屋根のモザイクが独特で、屋根がこれほど印象的な教会を見たことがない。私は、
——教会の中を見たい。
と思い、聖マルコ広場をまっすぐに突っ切って教会に近づく。しかし、正面の扉を引いてもびくともしない。力を入れて再度引いてみるが、やはり開かない。
ぐるっと周囲を回ってみると、左側にも入口らしい扉を見つけたが、それも固く閉ざされていた。まさか屋根だけ見せて中は非公開ということもあるまい。まだ閉館する時間でもないと思うが、今日は月曜日なので休館ということも十分にありえると思われた。
とはいえ、ここは単なる観光スポットではない。
この界隈はクロアチアの政治の中心、日本でいえば永田町であり、聖マルコ教会に向かって左の建物が首相官邸、右の建物が国会である。国際情勢のややこしいこの時代に、国権の中枢のど真ん中で教会の周囲をむやみに徘徊(はいかい)していては怪しい。実際、教会は聖マルコ広場に島のように浮かび、どの方向から見ても丸見えである。私は未練を抱えたまま教会を後にする。
聖マルコ広場から街路に出た道ばたで、おじさん二人が立ち話をしていた。一介の観光客風情が地元民の日常を破るのは多少気が引けたが、会話集の助けを借り、
——Smijem li ulaziti?(入ってもいいのですか?)
と、教会を指して聞いてみる。つたない質問は通じたようで、即座に、
——Smijete, smijete.
との答えが返ってきた。
入ってもかまわないですよ、という意味のようだ。単語を軽く二回繰り返すところに「どうぞ、どうぞ」という促しのニュアンスを感じたのは、私の思い込みだろうか。いずれにせよ、いきなり話しかけたアジア人に気安いトーンで答えてくれた自然さがうれしい。しかも、完全な文で返されても理解できないので、単語ひとつの返事がむしろありがたかった。
蛇足ながら、動詞の語尾の-emは「私は」の形、-eteは「あなたは」の形である。
教会は公開されていることがわかった。今日は閉館日か、あるいはもう閉館したのだろう。
教会の中に入れずに気持ちがいくらか醒(さ)めた反面、地元の人に入れると教わったことが希望につながる。何より、ザグレブに着いた日に、こうして聖母なにがし大聖堂から石の門へ、そして聖マルコ教会へとたどることができた。
学生時代の思い出を遠望するのではなく、剥げかけたペンキを塗り直すように、大きく色褪せた記憶を引きずり出し、いま歩いているザグレブをそのうえに塗り重ねて行く。ザグレブという町の心象風景が、こうして新しく生まれ変わっていく。
聖マルコ広場から正面に伸びる道を二百メートルほどまっすぐ進むと、丘の南端に突き当たった。断崖というほどではないが、思ったより高さがあり、秋晴れのザグレブが眼前に広く見渡される。地味な階段が左手から下に降りていて、地元の人がときおり上り下りしている。
今日のところはこれで気が済んだので、旧市街の散策はこれで終了し、私も下に伸びる階段を降りることにする。