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− 短編・旅エッセイ −

<10> 田園の日本語少年





 





 




ネパール・カトマンズ
 橋を渡ってしばらく進むと、住宅が途切れてふいに視界が開けた。左に向かう一本の枝道が、稲田の真ん中をゆったりと貫いて伸びる。稲葉が夕日の赤を受け、埋み火のように静かに熱をはらんでいた。
 雨上がりの水たまりで遊んでいた子どもたちも、やがて遊びに飽きたのか、晴れやかに連れだって帰っていく。枝道の彼方から悠然と歩いてくる男たちの姿が、ゆっくりゆっくり大きくなって近づいてくる。
 そんな無声映画のような光景に見入っていた私に、通りがかりのネパール人が「日本人ですか?」と背後から日本語で声をかけてきた。
 ダルバール広場などの観光地なら無視するところだが、タメル地区に近いとはいえ、外国人が多く訪れるような道ではない。ほんの偶然だろう。見ると、髪を七三に分けたまじめそうな少年である。目がくりっとして、全体的に体の線が細い。
「風景を見ているのですか?」
 そんなまっすぐな表現も、日本語が不自然というより、少年のストレートな気質の表れだとさえ感じられた。見たところ高校生くらいだが、もう少し上かもしれない。少年は続ける。
「私は、日本語を勉強しています。五か月、勉強しています。でも練習していません」
 少年は目の前にいきなり現れた日本人に面食らいながらも、せっかくの機会を逃すまいと、何か言葉を発したがっていた。私は、ネパールには日本語を勉強する人が多いですね、と水を向けた。
「カトマンズやポカラ、それにパタンでは多いです。お店に日本語を話せるの人、たくさんいます」
 ——ああ、この少年も、ビジネスという俗世の光に寄り集まるタイプだろうか?
 その大きな瞳にどこか大志の輝きを見ていた私は、他人事ながら残念に思った。いや、そんなはずはない。この少年には、秘めた思いがある。私は及び腰で尋ねた。
「日本語を勉強して、お店で働くのですか……?」
 すると少年は、
「私はお店で働きたくはありません。日本語がきれいに話せるなら、日本語の先生になりたい」
と、きちょうめんな日本語で答える。文は人を表すというが、この場合、そのぎこちなさを含めて、言は人を表すのだと思った。少なくとも「トモダチ、ヤスイよ!」と、観光客をターゲットに体当たりの商売をするタイプではない。職業について言うのではない。カースト制度がいまだに残るせいか、どことなく醒めた雰囲気を感じるカトマンズで、地道に自分の道を進もうとする少年がいることに、思わず晴れがましい気持ちになったのだった。それにしても、日本語の先生という選択肢には気がつかなかった。少年は続ける。
「日本人、ネパールにたくさん来ます。ドクトル(医者のこと)、ボランティーア……。彼らは、もし英語や日本語が話せないなら、私がトランスレートします」
「それ『通訳』ね。トランスレートは、日本語で通訳」
「ツーヤク、ツーヤク……」
 そこで話が途切れた。
 少年はちょうど潮時だと思ったのか、遠慮がちに少し歩き出してから、
「お邪魔しました。楽しんでください」
と言い残して背を向ける。まるで映画のラストシーンのような鮮やかな去り方に、私のほうが言葉を見失った。
「がんばってください」
 そうなおざりな言葉をかけるのが精一杯の私に、少年は一度だけ振り返って「がんばります」と笑顔を見せた。
 稲田はいよいよ赤く照り返り、人々はそそくさと家路をたどる。
─ 初出:『恋するアジア』第29号(2000年11月)─
修正:2015年2月23日