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− 短編・旅エッセイ −

<4> 西へ、東へ





 





 




トルコ・イスタンブール
 おとなしく陰気な雨は、オトガルと呼ばれる長距離バスターミナルに着いてもまだしょぼしょぼと降り続いていた。
 トラブゾンからの夜行バスは、市街地に入るとまずハレム・ガラージというアジア側のフェリー乗り場に寄り、そこから進路を北にとってボスポラス大橋を渡る。大きく半円を描くようにしてヨーロッパ側のオトガルに着いたときには、すでに正午が近かった。
 昨晩トラブゾンを出たときはよく晴れていたのに、朝、目を覚ますと雨になっていた。今回の旅は乾燥した地域が多かったので、雨にあうのは五週目にして初めてだった。スコールのような勢いや激しさはなく、また日本の秋雨ほど本格的な雨足でもなく、粒の細かい、それでいて簡単にはやみそうもない、どちらかといえば、じわじわとゆっくり忍び寄ってくるような降り方をしていた。
 腹がへっていたが、先に宿を探すことにした。地下鉄とトラムを乗り継ぎ、アヤ・ソフィア近辺の安宿街をめざす。スルタン・アフメット駅を降りたときには、雨は小止みになっていた。

 歩きながら、私は明日が土曜日であることに気がついた。今日のうちにマレーシア航空に行っておく必要があるのだった。
 私は今回イランを回るつもりで、クアラルンプール経由のテヘラン往復チケットをもってきていた。つまり、帰路はイランの首都テヘランからクアラルンプールを経て日本に戻る予定である。しかし、イラン社会の底に渦巻くフラストレーションの重苦しさに、つい押し出されたといった格好でイスタンブールまで来た。格安航空券は基本的に変更不可であるが、帰りのテヘラン~クアラルンプールのチケットをイスタンブールからの便に変更できないか、念のために聞いておきたかった。何かの拍子にうまく転ばないとも限らない。

 宿を決めてひと休みしたあと、近くのインフォメーションでオフィスの電話番号を調べてもらう。その足で電話して場所を聞き、トラムに乗って終点のエミノニュ駅まで行く。駅を降りると、懐かしいガラタ橋がはるか対岸へと渡っていた。雨がまたぱらぱらと降ってくる。
 海峡はどんよりと重く鉛色に光っていた。冷え冷えとした空気がウインドブレーカー越しに体を包む。私は体を暖めるためにも足早に橋を渡り、そのままテュネルという地下ケーブルカーで新市街を上った。駅を出たあとは、冷たい雨のなかを繁華な通りに沿ってゆるやかな坂をさらに上り、やや高級感のただよう界隈を、タシキム広場、ヒルトンホテル、軍事博物館とたどる。軍事博物館をやり過ごしたY字路の奥に、探していたマレーシア航空の看板が見えた。
 息が少し荒れているのに体は雨を受けて冷たかった。雨から逃れるようにドアを押して中に入ると、オフィスの中は、まるでそこだけが治外法権であるかのように空気が静止し、いきおい雨も風も車の喧騒もはるかに遠のく。私はウインドブレーカーを脱いでカウンターに座り、
「このチケットはイスタンブールからの便に変更できますか」
と、尋ねた。

 対応した女子事務員はしばらく調べたあと、発券元に聞く必要がある、今日ファクスを流せば月曜には返事が来ると思うと述べた。
 それでは遅いのだった。週明けにクアラルンプールから日本に帰る便を予約している。できればそれに乗り継ぎたかった。私は礼を言ってオフィスを出た。やはり小粒の雨が天から糸を垂らすように蕭然(しょうぜん)と降る。私は元来た道を軍事博物館、ヒルトンホテル、タキシム広場と逆にたどり、長い坂道をガラタ橋まで下った。長い橋のたもとに着いたとき、ふと、
 ──もどってきた。
 と思った。
 金角湾に架かるガラタ橋は、湾の北側と南側の、いかにもアジアの古都といった建て込んだ街並みどうしを悠然と結ぶ。橋を歩くと、湾外に広がる海への遥かな予感が潮風に乗って揺れる。アジアとヨーロッパの接点にあるイスタンブールは、長い道のりの果てにたどり着く終着点であると同時に、遠く広漠とした大地に踏み出していく出発点でもあるのだった。
 明日は晴れてほしいと思いながら橋を旧市街側に戻り、ここまで歩いて来て今ようやく雨を避けるのだというように、私はエミノニュ駅につづく地下道へと階段を降りた。

─ 初出:『恋するアジア』第21号(1999年7月)─
修正:2012年10月21日