パハールガンジのメインバザール一帯は翌日がヒンズーの祭日とやらで、黄色い白熱球があちこちに垂れ下がり、空が暗くなってなお人通りが絶えない。私はゴールデン・カフェという旅行者相手のメシ屋で晩飯を済ませ、腹ごなしを兼ねて通りをゆっくり歩いていた。そのとき、
──Where are you from? Korea?
と、問う男がある。
この界隈はコンノートプレースなどとは異なり、怪しげなインド人から声が掛かることは少ない。それだけに不意をつかれ、つい振り返った。何者か。私はいぶかしい気持ちでやや不躾
(ぶしつけ)に、
──How about you?
と、男の素性を問う。
「バーマ」
聞いたことのない地名だ。男はもう一度「バーマ」と繰り返す。
いや、インドの地名ではない、ビルマだ。デリーにもビルマ人が暮らしているのだ。素性は知れないが、ビルマ人なら信用していいかもしれない。私は自分が日本人であることを告げた。
「英語はできるか?」の問いに、少しいたずら心を起こした私は、
「ネーネー・ピョーデー
(少し話します)」
と、いいかげんなビルマ語で答えてみる。
「お前、いまのはビルマ語か?」
男の驚きは予想以上だった。
「イエス」
「ビルマ語はできるのか?」
「ア・リトル」
「ネーカウン・バーダラー?
(元気?)」
「ネーカウン・バーデー
(元気です)」
それは、異国の地で仲間を見分ける合い言葉にも等しかった。
歩きながら、私は東京には多くのビルマ人が住みビルマ料理屋も多いこと、4月にはダジャン(水祭り)が催されることなどを語った。男は「ユー ノウ ベリー ウェル」と声を高めた。
男はインドに来て5年になるという。仏教徒で、この先にある仏教寺院の近くに住んでいるらしい。いま多くの人が浮かれ歩いている明日のヒンズーの祝祭も、おそらくこの男には関係がないのだろう。
地元のメシ屋の前まで来たところで中に誘われる。食事は済んだと言うと、男はヨーグルトを一つずつ注文した。店内はインド人で混み合っていた。
「ヤンゴンには行ったことがあるか」
「3年ほど前に行った。スーレーパヤー
(スーレーパゴダ)とか」
「じゃ、ゴールデン・テンプルは? シュエダゴンパヤーだ」
「行きました」
砂糖をまぶしたプレーンヨーグルトが、銀色の食器に盛られて運ばれてくる。
「これはうまいんだ。しかも、たったの10ルピーだ」
かきまぜてスプーンでひとすくいし、口に運ぶと、砂糖のほどよい甘さとヨーグルトの酸味が舌の上で混ざり合う。10ルピーが高いか安いかは知らない。私はただ、その味がいいと思った。
仏塔の話で思い出したのか、男はブッダガヤの話を始め、ぜひ行けと勧めてくる。
「あそこには日本の寺もあるし、多くの日本人が訪れている。それにデカい仏塔がある。ここの寺は小さいけど、ブッダガヤの寺はものすごくデカいんだ」
ブッダガヤの話になると、男は能弁になった。ヒンズーの祝祭を前に浮かれるデリーの町で、仏教者としての自分を保っていたいのかもしれない。
店を出しなに、明日、寺に来ないかと誘われた。しかし、男に特別な興味は湧かなかった。デリーの蒸し暑さがこたえていたこともあり、私は休養したいと断った。
「チェズー・ティンバーデー
(ありがとうございます)」
礼を言うと、男は少し残念そうに笑った。
メインバザールは、あいかわらず多くのインド人でにぎわっている。ヒンズーの祝祭は、私にとっても異教の祭りでしかないのだとふと思った。
─ 初出:『恋するアジア』第28号(2000年9月)─
修正:2013年2月19日
※ビルマは現在では一般にミャンマーと呼ばれますが、ここでは
初出時のままビルマとしました。