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− 短編・旅エッセイ −
ゆくらゆくらにアジアたび

<5> 夕立のあとさき





 





 




中国・広州
 空気中のあちこちから今にも露がじとっと滲(にじ)み出てきそうな湿度のなか、雲行きが怪しいのを見た私は、六番のバスにさっさと乗り込む。黄花崗(こうかこう)公園を訪ねての帰り道である。
 緑濃い公園内には、清朝末期に起こった黄花崗起義の戦死者を祀る「七十二烈士之墓」を中心に、辛亥革命にまつわる殉難者たちの墓が散在する。烈士たちは、大樹の葉陰や立派な石門の裏に、ある者はひっそりと、ある者は仰々しく葬られる。清朝が転覆し混乱がうち続く時代に、理想とする国づくりをめざして心血を注ぎながらも、志(こころざし)なかばで倒れた人たちの体がこの地面の下にあるのだった。冷たい石の表面からは想像もできないほどの熱くたぎる血が、かつてはその人の体を流れ、そして最後には広州の路上に吹き出して力尽きた。
 バスは、のそのそと動きながら黄花崗を離れる。
 公園の外にはもはや烈士たちの熱い思いはなく、幅の広い環市東路を路線バス、タクシー、ワゴン車、二輪車が熱をまき散らしながら流れていく。停留所に着くたびに人々が降り、そして乗り込む。バスは広州の中心街へと進む。
 風が生暖かかった。まるでバスが中心街に向かうのが気に入らないとでもいうように、空はいよいよ黒さを増して風が強まる。とうとう雨粒が落ちてきた。雨はひとたび降り出すと、それまで溜まりに溜まったものを一気に吐き出すように激しい。加速のついた大粒の雨が、路面を休みなく叩いては大きな飛沫を弾かせる。車のほかは、たまに雨合羽の自転車が通り過ぎるばかりで、気がつくと通りに人影はない。
 バスはやがて大通りから商店街に入る。
 停留所に停まると、降りる客は商店街のアーケードへと駆け下り、乗る客はそのアーケードからそそくさと乗り込む。ドアが閉まり、バスはまたのそのそと動き出す。やがて二十分ほどで雨が上がると、人々は何事もなかったかのようにまた路上へともどり始める。

 次の日の午後、中山紀念館から三元宮へと巡ったあと、足を伸ばして西漢南越王墓博物館を訪れた。
 館内をひと通り回って出口に向かうと、出口の前が土産物屋になっている。そこに一歩足を踏み入れると、ミニスカートの若い女子店員が待ちかまえていたように「日本人ですか」と笑う。買うべきものなどあるはずがないと思い、ただ「はい」とだけ返事をしてその場をすり抜けたが、よりによって外は土砂降りの雨になっていた。私はあきらめて店内にとどまる。
 「ハンカチ、どうですか」
 女子店員がつたない日本語で土産物を勧めてくる。何枚かを手にとって眺めてもみるが、それくらいで時間がかせげるわけもない。私はさらに売り場を進む。ある一角に、白檀で作った吊しものの細工があった。
 「これとこれ、セット、いいよ」
 女子店員はすかさず言葉を差しはさむ。よく見るとたしかによくできた細工ではある。しかしどう考えても二つはいらない。その気持ちを読んだわけでもないだろうが、女子店員は別の細工を一つ取り、黙って私の目の前にかざす。こてこてした装飾がなく、シンプルな形に見えた。私はそれを買った。
 雨足は依然として強かった。
 私は客として休憩するくらいの権利はあろうと、店の片隅に置かれたテーブルの前に座る。テーブルの上には、店員の使ったコップやら雑誌やらが雑然と置かれている。その脇に、英会話のテキストが開かれていた。女子店員のものらしく、細かな書き込みがしてあった。
 しばらくして店内が少し騒がしくなる。
 閉館時間だった。とくに片づけ作業もないのか、従業員たちはあっという間に戸口に集まって一斉に出ていく。
 雨はいつのまにか上がっていた。私も女子店員といっしょに外に出る。狭い地下の穴蔵からようやく地上に解放されたような心持ちがし、外の蒸し暑さに懐かしささえ覚えて空を仰ぐ。
 敷地内を抜けて大通りに出ると、街はひと足早く活気を取りもどしていた。これから英語学校だと言う女子店員と別れた私は、夕晴れの時間を惜しむように顔を上げ、五番のバス停を探して解放北路を北へ歩いた。

─ 初出:『恋するアジア』第22号(1999年9月)─
修正:2012年10月21日
参考 ☞ 黄花崗起義についてはウィキペディアの同項を参照