宿の近くで「サイカー」と呼ばれる人力車を拾う。
夕方五時半の夜行列車まで時間が空いていたので、昼飯のあと、午後の時間を使ってマンダレー・ヒルに行くことにした。マンダレーの街は丘に向けてゆるやかに上っている。ペダルを漕ぐリズムもときに乱れがちで、心中、
──がんばれ!
と声をかけつつ、座席に深々ともたれていた。とにかく目的地までがんばってもらうしかない。
それよりも、雲行きが怪しいのが気になった。
このところ午後になると連日激しいスコールが降る。日本でいえば、梅雨明け間近の豪雨といった降り方をする。ただ、たいていは小一時間の通り雨である。辛抱づよく待っていれば、ウソのように青い晴れ間がのぞいてくる。
雨は、マンダレー・ヒルに着いてから降りはじめた。
マンダレー・ヒルは丘全体に仏像が散らばって安置されている。その全容はもとより私の知るところではないが、その主だったものを縫うように麓から丘の上まで石段が連なる。屋根があるので雨に濡れる心配はない。石段をたどってゆけば、お参りをしながら丘を登る仕儀となる。
雨はみるみる激しくなった。
大きな雨粒が、連続してトタン屋根を激しく叩く。バラララという豆を撒(ま)き散らしたような音が、屋根全体に共鳴する。廊下の両側からはザザーッという大きな雨音が風とともに舞い込んでくる。手すりにぶつかった雨が廊下に弾け跳ぶ。しかし訪れていた参拝客らは、その潔い降り方をむしろ楽しむふうで、濡れた素足を気にする様子もみせず、私の脇をうれしげに通り過ぎてゆく。
私は石段をさらに登る。
西側が一望できる場所があった。マンダレー市内と思われるあたりでは雨雲から黒紫色の膜がどろりと垂れ下がり、暗い水柱が地上まで降りているのがはっきり見える。市内でも同じような豪雨が降っているにちがいない。
石段の脇にある空き地に目を転じると、近くに住み込んでいると思える少女が、大粒の雨を全身に受けながら髪を洗っていた。はたしてスコールを待っていたかどうかは知らないが、いかにもタイミングよく多量の水を潤沢に浴び、周囲を気にする素振りもまったく見せず、顔からしずくをぽたぽたと垂らしながら一心に髪をすすいでいた。
私は、時計を気にしながら展望台まで登って時間をつぶした。降りはじめから30分ほどが経って、雨はようやく小止みになった。
雲が切れていた西南の空から、黄金の光が射し込めてくる。上から石段を見おろすと、濡れた部分が光をきらきらと反射し、それがまた周囲の白壁に乱反射して、廊下全体が明るい象牙色のトーンを帯びていた。
そのなかを、老夫婦が肩を寄せあいながらゆっくりと降りていく。老人は、杖にすがりながら足場を探るように一段ずつ慎重に歩を進める。老婆はすぐ横で連れ合いを気遣いながら、半歩ほど遅れて歩む。二人の小さい背中は、やわらかな日差しのなかをしばらく進んだあと、やがて奧の日陰へと消えていった。
辺りは風もなく人もおらず、ただ濡れた石段ばかりが、激しい雨の名残りをそこここにとどめて黙座していた。
─ 初出:『恋するアジア』第16号(1998年9月)─
修正:2007年6月24日