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ルスタヴィの町は、首都トビリシから二、三十キロの場所にある。東行きのバスターミナルからミニバスに乗って四十分ほどで着く。見所などなにもない、地味な田舎町である。
ルスタヴィの近くまでは、緑の濃い草原が続く。牛がところどころで草を食んでいる。やがて工場が増えてくる。日本の電器メーカーの工場のような垢抜けた代物ではない。建物全体が黒ずみ、巨大なタンクが置かれ、クレーンが何かを吊り下げている。
三十分ほどで街道をそれ、町らしいエリアに入っていく。
しばらく進むと、小型のバスが何台か駐車された広場に着く。そこがバスターミナルのようだった。軽食を食わせるカフェが何軒か周囲に並んでいた。
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幅の広い通りに沿って歩いてみる。一帯は住宅地なのか、四、五階建ての質素なアパートが無愛想に続くばかりで、広告なり看板なり、あるいは装飾なり、何かこう、人の心を惹こうとする要素が何もない。少し先で大通りと交差しているようなので、そこから大通りに入ってみることにする。町の中心に行けば、多少はにぎやかな雰囲気があるかもしれない。
交差点にたどり着いたところで、大通りを右に入ってみた。トロリーバスの架線が続いているので、主要な通りであるに違いない。通り名を見ると、ルスタヴェリ通りとある。意味はわからないが、トビリシの「ルスタヴェリ通り」は町で一番の目抜き通りなので、目の前の通りがこの町のメインストリートであるのかもしれない。
五分ほど歩くと、堂々とした大きな白亜の建物が出現した。前に銅像が立っている。市庁舎か市議会だろうか。周囲にちょっとした商店があるのを見ると、このあたりが町の中心である気もする。しかし見事にアパートばかりで、店はわずかしかない。観光客の来ない「ふつうの町」を見たいと思ってやってきたのだが、あまりにも期待どおりで嬉しくなってくる。
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3
トロリーバスの来る方向には、何かあるのだろうか? あるいは、たんなる折り返し点なのだろうか。それを確かめるために、私はさらに歩を進めた。大きめの交差点を越えると、道の先端が見えてきた。広場の奥に建物がある。
トロリーバスは広場をぐるっと回りこみ、一番奥にあるその建物の前で停まる。そこはちょっとしたターミナルになっており、客を乗降させたトロリーバスはしばらくそこに停車したあと、広場から再びルスタヴェリ通りに出て通りを下っていく。平日の昼間とあって街路に人影は少ないが、建物の周囲には人の姿がまばらに見えた。私は好奇心に駆られ、奥の建物にゆっくり近づいた。
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4
広場の縁にそって近づいていくと、建物の脇に何人か人がいる。手前には離れのような平屋がある。もしトイレがあれば用を足していこうと考えて平屋に近づくと、その向こうに線路が見えた。
駅だ。鉄道駅である。
広場の奥に見えた建物は駅舎であった。ホームは自由に出入りできるので、私はホームの側から駅舎に近づいた。古いが天井が高く、立派な造りの建物だった。ふと見ると、メインの出入口のすぐ上に、ソニーのプレイステーションのステッカーが貼られている。トビリシの高級電器屋ならともかく、商店さえまばらな町のレトロな駅舎に、それは甚だ不似合いであった。私は肩掛けカバンからカメラを取り出す。こんな田舎町で外国人が駅舎の写真を撮っていたらさぞかし怪しげだろうとは思ったが、プレイステーションのステッカーはあまりにも珍しく、私はほとんど条件反射的に写真を撮っていた。
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5
そのとき、ひとつの気配がこちらに近づいてくることに気がついた。見ると警官である。首の上のもったいぶった表情に、一瞬、いやな予感がした。
こちらにやましい点はない。ロシアとの国境近くは政治的に不安定だと聞くが、このあたりは安全なはずである。公安が過敏になるような地域ではない。たしかに駅の写真を撮ったのは微妙かもしれないが、その程度で素行を怪しまれる筋合いはない。
「なにをしているのか──」
おそらくそう言ったのだろう。次に「パスポート」と聞こえた。パスポートを見せろということらしい。しかし、あいにくパスポートはホテルに預けてある。ただこういうときのために、私はパスポートのコピーとホテルの領収証をカバンに入れて持ち歩いていた。
私は警官にパスポートのコピーを見せた。それで納得するかと思ったが甘く、あくまでもパスポートを見たがった。私がパスポートを携帯していないのを知ると、警官は「こっちに来い」と、私を駅舎の一室に連れて行った。
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6
男はどうやら駅の駐在官であるらしかった。小さな駅なので、駅長を兼ねているのかもしれない。ホームに面して入口があり、中に事務机が置かれている。この男の部屋のようだ。私はまず、パスポートのありかについて説明した。ホテルの領収証を見せ、パスポートはここだと言った。
「ふん」。男は鼻をならした。
「なぜパスポートがホテルにあるのだ」
男は終始ロシア語だが、若干の単語がわかれば、あとは雰囲気で意味は取れる。ただ、「なぜ」と聞かれても困る。パスポートをホテルに預けるのは、諸外国でよく行われることである。しかもトビリシの場合、フロントが預かるというので私はそれに従ったまでだ。それがグルジアのシステムではないのか。あとで知人に聞いたところでは、ホテルに預けるのは規則だから、警官がパスポートの提示を求めるのはおかしいという。しかしいまは、とにかくパスポートがホテルにあることを主張するしか方法がない。
男はパスポートにこだわった。だが手元にないものを出すことはできない。手詰まりになったところで、お決まりの荷物検査が始まる。カバンの中身を出させられ、一点一点調べられた。
しかしそれは、取り調べというほどのものではなかった。たとえば、カメラがあってもケースを開けることはしない。フィルムを没収する気配もまったくない。日記帳も一通りめくってみるが、内容には関心がないようだった。この町でバスを降りてから駅まで、私は簡単な略図を書いていたが、ほとんど見ていなかった。要するに、たんなる事務手続きのように感じられた。
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7
怪しまれているふうではなかったのでこれで解放されるかと思ったが、それは甘かった。荷物をカバンに納めなおすと、男はふたたび、
「オレはパスポートが見たい。これはコピーであってパスポートではない。それにビザがない。オレはビザが見たい。パスポートとビザが確認できれば、それで済む話なのだよ」
と、堂々巡りを再開した。怪しんでいる素振りはないのに、あくまでもパスポートを見たいという。グルジアの役人というのは、そこまで手続きにこだわる人々なのだろうか。こちらが次の手について考えを巡らせていると、男は一度だけニッと笑った。残忍な色はなく、それはむしろ親しげなシグナルのようにも見え、私はいくらか安堵した。しかしそれも束の間、男の表情はたちまち元の険しさにもどった。
仕方がない。最後の手段を使うか。
私はトビリシに住むグルジア人を一人知っていた。迷惑をかけるのは心苦しいが、私が善良な日本人旅行者であることを彼の口から説明してもらおう。ただし、ひとつだけ不安があった。トビリシは中心街でさえ公衆電話の数が少なく、回線の品質もあまりよくない。トビリシに近いといっても、このような田舎町ではたして直通の市外電話がかけられるのだろうか。私は不安な気持ちのまま電話番号を男に教えた。
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8
男は机の電話を取り、私が教えた番号を回すが、つながらない様子だった。男は、自分でかけてみろと私に電話機をよこすが、トビリシの番号を回しても無音のまま何も聞こえてこない。私の予想では、交換手を呼び出すか、あるいは電話局に行くかする必要があるのだろう。男はそれを承知のうえで、私を孤立させるためにあえて電話をかけてみせたのかもしれない。
男は、私を怪しんでいないにもかかわらず、解放するどころか私の退路を断とうとする。カネが目当てなら、下手な演技などせず、何かの罰金か保釈金の名目で請求するのが手っ取り早いはずだ。私はどうも男の心裏が読めなかった。
私にすべがなくなったところで、男は潮時だと思ったのか、おもむろに、
「KGB(カーゲーベー)を知っているか」
と、問うた。一瞬、どう答えるのが得策か逡巡したが、男がさらに、
「アメリカではCIA、ロシアではKGBだ」
と説明を追加したので、話の流れから私は「ダー(はい)」と答えた。すると男は、お前はパスポートもビザもない。だからKGB送りになる、というようなことを言った。よくは聞き取れなかったが、そのようなことを言ったようだった。
独立国家のグルジアにロシアのKGBがいるとは思えなかったし、無実の日本人を拘束すると外交問題になりうると思ったが、しかしアブハジアやチェチェンでの紛争が激化しているとも聞いていたので、仮に別の場所に移送されることにでもなれば厄介である。それに、日本の外務省が頼りになるとも思えなかった。
私はここから解放されることが必要だった。
お前はKGB送りだというようなことを男は再度ほのめかし、いまから電話をすると言う。これはもう取り調べなどではない。完全な脅迫──いや、悪質な恐喝だ。
「ノー!」
これ以上、深入りしてはいけない。いまここで解決しないと、脅しが本当になりかねない。男の手が電話機に伸びようとする。
「ノー!」。私は繰り返した。十中八九、カネだと思ったが、こちらから切り出して贈賄罪に問われては元も子もない。相手に言わせなければならない。
「シュトー・ナーダ・ヂェーラチ?」
私は何をしなければいけないのか? 文法の正否を言っている場合ではない。私は知っているロシア語の単語を並べて聞いた。男は英語で一言、
「マニー」
と言った。
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9
言ってくれた──。ずっと待っていた言葉を、男はようやく口にした。これで私は解放されたも同然だ。それにしても、これまでずっとロシア語だったのに、カネだけ英語というのもどこか悲しい気がした。
いくら?
二十ラリ。
二十?
私は少し面食らった。二十ラリはほぼ十ドルである。百ドルくらい覚悟していたので、十ドルとは桁がひとつ小さかった。良心的なポリスだと思った。しかしあとでこの話を知人にすると、「二十ラリは大きなカネですよ」と教えてくれた。一人が一週間食べていける金額だそうである。私は悔しさが再燃した。だがこのときはまだ、大した金額ではないと思っていた。
二十ラリを男に渡すと、男は満足げに表情をゆるめた。
「私としてはもう問題はない。お前はどうだ?」
「私にも問題はありません」
「よろしい」
男は続けて、トビリシ行きの列車に乗って帰りなさいと言った。出口の外はすぐホームである。三十人ばかりの人が線路脇で列車を待っているのが見えた。私はゆっくりと戸口からホームに出た。ルスタヴィの町をもう少し散策したかったが、男は線路を指さして私を促す。私はしかたなく線路脇に降りた。
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エピローグ
驚いたことに、トビリシ行きの列車は三、四分でやってきた。タイミングのよさに、男の一人芝居の周到さが際だった。募る私怨の一方で、そこにグルジアのさびしい現実があるのもまた確かだった。二十ラリを手にして満足する男の顔は、浅ましく哀れでもある。
グルジアは元来、豊かな農業国である。たしかに定職に就いていれば生活に困ることはなかろう。しかし暖かい服を着たり、うまいものを食べたり、あるいはいい薬を飲んだりしようと思えば、それこそ金額の桁が違ってくる。
繁華街にマクドナルドができ、しゃれたファッション・ブティックが出現するなか、多くの庶民がそこから取り残されている。そうした店ができることによって、そこに入ることのできる人とできない人とが歴然と分別される。私はマクドナルドに入ることのできる人であり、かの警官はおそらく入ることのできない人である。正しいとか間違いとか、抑圧する者とかされる者とか、キリスト教とかイスラム教とか、そういう分類基準がどれほど意味をもつのか私は知らない。少なくとも、そうした店に入ることのできる人とできない人との間に、大きな生活の壁があるように感じた。
男はほんの一瞬、その壁を越えたかったのかもしれない。