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そこは地の果てアルメニア part2
                   
国境から首都エレバンへ
1998年10月

〈 後 編 〉

5 ホテル・イリーナ
 翌朝は八時すぎに起床した。
 朝メシは十時までだと言われていたので、朝メシを逃さないよう目覚ましをかけていた。昨日はけっきょく、午後遅くに食べた食事が唯一まともなメシだった。今日一日の活動を効果的に始動させるには、朝メシをしっかり食べておくことが必要である。
 ノドが乾いていた。しかし水道水が飲めるかどうかは、よくわからなかった。幸い、応接室に携帯型の湯沸かし器があった。コップ一杯分を沸かすだけの、電熱式の旅行用湯沸かし器である。私は洗面台の水を入れ、湯沸かし器のコンセントを入れた。見たところ、スイッチなどという上品な仕掛けはないようだった。
 しばらくして沸き加減を見に応接室にもどると、水はすでにぼこぼこと異様な音をたてて煮えたぎっていた。私はあわててコンセントを抜く。器の底には、銀色の極太電熱コイルが沈んでいる。小さな器に不似合いな、極太のコイルであった。しかし武骨な形をしていても、実用性は高い。私は、
 ──いかにも旧ソ連っぽい。
 と、なぜか愛着のようなものを感じた。
 中国旅行ではないので、茶葉の持ち合わせはなかった。せっかくソファーでゆったりとくつろぎながら、なんの味もしない白湯(さゆ)をずずっとすする。その合間に短い静寂が広がり、白湯の淡泊さがいっそう募る。それでも渇きが癒え、体全体に潤いが浸透してきた。
 わずか白湯一杯で、寝起きの鈍重な意識に明晰な光が灯ってくる。体内にようやく気が満ちはじめた私は、外の様子が知りたくなって廊下に出てみた。
 他に客が泊まっている気配はなかった。そもそもここは、いったいどういう施設なのか。昨日──正確には今日の深夜だが──裏門から入ったところでは、ホテルにしてはあまりにも地味であった。それでも一階にはフロントらしきカウンターと、ロビーのような空間がある。そのうえ宿泊用の部屋が何部屋もあるのを思えば、やはり何かの公共施設と思っていいのではないか。私は建物の様子をもう一度確かめたい気持ちもあり、ゆっくり階下に降りてみる。朝食の準備のほうも気になっていた。
 一階には、昨日見かけた英語のできるおばさんがいた。この人が庶務を取り仕切っているのだろう。オーナー格のおばさんが社長とすれば、この人は総務部長になるだろうか。
「朝食の準備はできてます?」
「いえ、まだです。もう食べますか?」
「いえ、あとでけっこうです」
 頼めばつくってくれそうな気色だったが、あとの二人はまだ寝ているようだし、もう少し待ってみようと考えた。しかし一階にはあまりうろつくようなスペースはなく、私は早々に二階にもどることにした。階段を上りきった二階の窓際に、バルコニーがある。ドアと兼用の、背の高いいわゆるフランス窓が、外にむけて押し開かれていた。窓下をのぞくと、正面に屋敷の正門らしき門があった。とくべつな仰々しさはなく、ちょっとした邸宅の玄関にあるような、水色をした鉄柵の門である。
 昨日通った通用門は、ここからは隠れて見えないが、敷地の右側にあるはずだった。また道をはさんだ斜め向こうには、昨日訪れたホテル・ナイリがあるはずである。
 空はやや白っぽかったが、雲のない快晴だった。空気もひんやりとしてすがすがしい。エレバンの初日には、できすぎた上天気だと思われた。
 部屋にもどってしばらく待っても、二人の起きる気配はなかった。私の空腹感はいよいよ増してくる。私はメモ帳を破って朝食に行ってますと走り書きをし、階下に向かう途中、ドアの下から二人の部屋に滑り込ませた。下では「総務部長」のおばさんが食事の支度ができていると教えてくれる。指さした方向に、レストランらしき部屋があった。
 中には誰もいない。
 見たところ三、四十ほどの席があり、テーブルの上にティーカップなどの食器がごちゃごちゃと並ぶ。今日明日にも使いそうな雰囲気はないので、いつもそうやって置かれているのかもしれない。入り口に近い一角に、料理を盛った皿がいくつか置かれていた。パン、チーズ、バター、それにゆで卵。一人分をパックにしたフルーツ・ヨーグルトはドイツ製だ。やがて総務部長がやってきて、カップに紅茶を入れてくれる。
 一人で食べているところに、ようやく二人が現れた。
 私は紅茶のお代わりを頼み、三人で雑談する。遠い異国にいることを忘れる団らんのひとときである。しかしチェックアウトは十二時だというので、食後はあまりゆっくりもできなかった。それぞれが荷物整理にとりかかる。なにより二人は三日間のトランジット入国のため、明日中には出国していなければならない。
「ぼくらはまず駅に行って、列車の時刻を見てきます。明日の朝の便があればそれにしますが、なければ今夜の夜行で行くつもりです。三日間のトランジットというのはけっこうきついですね」
 社会人の率直な感想である。
「ぼくはこのあと、ホテル・エレブニにチェックインします。ちょっと高いですけど、慣れるまではロケーションのいい場所のほうがいいですから。よかったら、駅に行く間、ぼくの部屋に荷物を置いてくれていいですよ」
 ここの部屋代に関して、彼らは最大限の好意を見せてくれていた。私は本来ならシングル料金の五十ドルを払うべきなのだが、二人は部屋代にも割り勘の原則を適用し、二部屋分の合計金額である百ドルを、三等分してくれた。おかげで私の出費は三十四ドルで済んだ。私の部屋を昼間ちょっと提供するくらいでは、釣り合わない親切である。
 荷造りを終えたところで、三人して一階に降りる。
 総務部長にカギを返す。部屋代は「社長」に払うように言われる。社長は、フロントの脇に専用の部屋を持っていた。
 部屋に入ったとき、社長は事務机に向かっていた。どうせ言葉が通じないので、あいさつもそこそこに部屋代を払う。社長は朝に強い人なのか、深夜に見たときの不機嫌さはすっかり影をひそめ、目つきはいぜんきついものの、表情はさばさばとしておだやかだった。三人はアルメニアの通貨ドラムを持っていないので、少額のドルをドラムに替えてもらうよう、ついでに頼んでみる。社長は気安く応じてくれ、私は十ドルをお願いした。レートはやはり一ドル=五百ドラムだった。アルメニアは両替が自由とみえ、闇両替に独特の、あたりをはばかるような目配りはなかった。
「スパシーバ(ありがとう)
 私はロシア語で礼を言ったあと、せめてこの建物の名前を知りたいと思った。
「このホテルの名前はなんというんですか?」
 これに対して、社長の答えから聞き取れた部分を拾うと、
「ここはホテルではないの。しいて言えば『ホテル・イリーナ』ね。イリーナは私の名前」
 ということらしい。もう少し詳しく知りたかったが、私一人がここで話し込むわけにもいかず、会話はそこで途切れた。ロシア語力のなさが、いまは恨めしかった。
 表に歩き出した三人を、おばさんは表門まで見送ってくれる。
 このあたりは高台になっている。そのため町の中心に出るには、まず高台を降りることが必要だった。ところが都合のいいことに、すぐ近くにちょっとしたロープウェーがある。ロープウェーといえば大げさに聞こえるが、鉄のロープにゴンドラがぶら下がった、その姿はまさにロープウェーなのである。全容が見えないので規模はわからないものの、それに乗れば一気に街なかまで降りられるようだった。
 ロープウェーを指した私たちに、おばさんは、
「動いてないの。今日は日曜だから。明日は動くけど」
 と教えてくれる。
 ──そうか、日曜日は休日だった。
 日本では信じられないことだが、しばらくイランにいると、日曜日が休日だという感覚を忘れてしまう。テヘランを出たのが金曜日だったので、週末はすっかり終わり、いまは週明けの気分になっていた。
 今度はおばさんが尋ねてくる。
「歩いていくの?」
 そうだ、と答えたものの、それに続くおばさんの言葉が理解できなかった。ジェスチャーから判断して、右側を道なりに降りてゆけということだろう。
 ──あなたたち、エレバンのことを何も知らないのね。
 と、あきれているのかもしれない。あいかわらず目つきはきついが、私たちにわからせようと、思わずジェスチャーに力が入る。つい先ほどまでビジネスライクな顔を見せていたおばさんの、自然な心に触れた気がした。
「スパシーバ、ダスビダーニヤ(ありがとう、さようなら)
 私は再度お礼を言い「ホテル・イリーナ」に背を向ける。
 日曜の正午近く。がらんとした静かな道が、ゆるやかに曲がりながら目の前を下っていく。私たちは足どりも軽く、街の中心をめざして歩きはじめた。