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そこは地の果てアルメニア part2
                   
国境から首都エレバンへ
1998年10月

〈 中 編 〉

 バスはアルメニアの首都のエレバンにようやく到着しました。すでに日付が変わっています。
3 深夜のエレバン
 乗客は、荷物を持って次々に降車していく。私たちも後部座席からバックパックをかつぎ、バスを降り立った。駐車場にしては、明かりが少なく周囲の様子もよくわからない。おそらく地図どおりの場所にいると思えるのだが、地理感覚がまったくないため、今どこにいて、なにがどこにあるのか、まったく見当がつかなかった。
 ──とにかく宿の確保だ。
 私は茫漠とかすんだ頭で、それだけを考えていた。タクシーが目敏(めざと)く近づいてくる。
「ホテル・ナイリ」
 社会人が即座に答える。私は瞬間、
 ──それは面倒になるかもしれない。
 と直感した。
 私たちが持っている情報では、ホテル・ナイリは一泊十ドルだった。バックパッカーにとってはけっして安い料金ではないが、エレバンではこれでも安い部類に属した。ただ、ロケーションが悪かった。町外れにある。安ホテルは経験上、深夜には完全に閉まってしまうところが多い。いまから町外れに行って閉まっていたら、ふたたびこの辺りまで戻ってこなければならない。私は、
 ──賭けだな。
 と思った。だいいち、エレバンの治安の状態さえわからない。目の前のホテル・エレブニは一泊二十ドルであり、バックパッカーにとってはかなりの高額である。が、おそらくほぼ確実に泊まることができる。私一人なら、ぜったいに目の前のホテルに投宿する。
 しかし、彼らには彼らの予算がある。一泊二十ドルもするホテルにこちらから誘うことは避けたかった。それに三人いれば治安的にも安心だし、かりに路頭に迷うことになっても心強い。
 一方、社会人がホテル・ナイリと言ったのを受け、タクシー・ドライバーはロシア語で交渉してくる。私たちが理解しないのを見ると、数字を手で示す。はじめ「十」と言うのを、こちらが渋っていると「六」になる。
 ──いったい高いのか、安いのか。
 かなりボッている気がするが、物価がわからないので判断がつかない。そういえば、国境で声をかけてきた個人タクシーは、国境からエレバンまで一人三十ドルと言っていた。三人で百ドル弱である。あれもかなりふっかけているはずなので、国境〜エレバンは三人で三十〜五十ドルくらいとみてよさそうだ。それを思えば、市内の移動に六ドルはやはり高い。高くても五ドルまでは下げさせるべきだと思ったが、しかしほかの二人はそこまで頓着しない様子をみせたので、私もそれ以上の交渉はせずに妥協した。
 荷物をトランクに入れてタクシーに乗り込む。
 室内は広かった。とくに幅が広い。後部シートに三人が楽に座れる。そのわりにクッションの効きは悪く、大味な造りのようだ。しかし路面状態が良いため、市内を走るにはそれで十分であった。
 タクシーは駐車場を出た後、ホテルをぐるりと回って大きな広場にもどる。そこから広い通りに出て、スピードを上げる。大通りは、さすがに街灯が灯っている。明るいとはいえないが、通りの様子はよくわかる。深夜にもかかわらず、果物屋のような店が白熱球の黄色く温かな光を放射していた。ほかに通る車はなかった。タクシーはしばらくその大通りを直進した後、脇道から住宅街のような界隈に入る。道が曲がりくねっていて、私はすぐに方角を見失った。続いてかなりの坂を上る。街灯の数が減り、雰囲気が少し寂しくなる。さらに数分を走ったところで、大きな直方体の建物の前に着いた。
 ホテル・ナイリであった。
 とりあえず私が運転手に六ドルを払う。
 すると運転手は、意外にも私たち一人一人を指して金を要求する。言葉はわからないが、それぞれに六ドルを要求していることが察せられた。
 ──冗談じゃない。
 これは、乗合タクシーではない。
 三人で乗ってきたタクシーである。一人で乗ろうが三人で乗ろうが、同じ料金のはずではないか。長距離のタクシーならともかく、市内を走るのに一人いくらのタクシーなど聞いたことがない。
 それでも冷然と追い払えないのは、アルメニアの物価や習慣を知らないのが原因だった。
 ──もしかして、それがここの相場では。
 自信のなさが態度の弱さにつながった。それはほかの二人も同じようで、
「六ドルやれば十分ですよね?」
 と、学生が確かめるように聞いてくる。
「多すぎるくらいでしょう」
 私は最初の予想を思い出し、そう口に出した。
「六ドルで十分だよ」
 学生はタクシー・ドライバーにむかい、宣告するように日本語で言い放った。三人はそれを合図にしたかのように、ホテルの建物に入る。運転手はそれ以上追ってこなかった。はてしてそれでよかったのか。客観的な判断材料がなく、後味の悪さが残る。
 ──自分の感覚を信じるしかない。
 私は自分に言い聞かせた。
4 宿を求めて
 玄関こそ開いてはいたものの、中のロビーは薄暗く、人の気配がなかった。
「ハロー こんばんは
 三人で騒いでいると、やがて管理人らしき男が現れる。
「部屋、ありますか?」
 社会人が聞く。これもおそらくロシア語しかできない口だろうが、一目見て旅行者とわかる人間がこの時間に訪ねてきたのである。用件は聞くまでもないはずだった。社会人の問いに対し、男は何か答えた。やはりロシア語である。眠っているジェスチャーから察するに、どうもカギの管理人がもう寝ているらしい。中国でもそうだが、ロシアの伝統的なシステムでは、フロントは部屋のカギを管理しない。客室のカギを持っているのは、各階にいるデジュールナヤと呼ばれるおばさんたちである。
 ある程度のホテルなら、こういう時間でもデジュールナヤを起こして部屋を開けてくれるのだろうが、安ホテルでは、時間外の客にそこまでのサービスを提供する義理はない。
 残念ながら、心配が現実になってしまった。
 もう一度あの駐車場に舞い戻らねばならない。幸い、治安は悪くなさそうだ。夜の寂しさのわりに、すさんだ気配は感じられない。それにこちらは三人だ。この調子では、最悪は夜のエレバンを歩くことになるかもしれない。しかし、それはそれで楽しい散歩と思え。それより一番の問題は、
 ──寒い。
 ということだった。
 それぞれ長袖の上着を羽織ってはいるが、その下は半袖シャツである。羽織った長袖も、防寒着といえるほどのものではない。息こそ白くはならないが、外でじっとしていると、夜の冷気が体をしんしんと冷やしてくる。夜の散歩を楽しむ気候ではない。
 二人もおそらく同じ思いであろう。いずれにせよ、これからどうするか。
 三人がとりあえずホテルの玄関を出ようとしたとき、管理人の男が呼び止めてきた。男の言葉を注意深く聞いてみると、どうやら近くにホテルがあると言っているようだ「アジン・ミヌートゥ(一分)」という言葉が聞こえた。歩いていけるらしい。高いホテルなら困るが、どんなところか見るだけは見てもいい。いや、むしろぜひ見てみたい。
 管理人は、三人を置いてすでに歩き出している。
「近くにホテルがあるらしいですよ。歩いていけるみたいです」
 私は二人を促しながら、管理人の後を追った。
 管理人は、まさに歩いて一分のところにある門の前で立ち止まった。ホテルという建物ではない。さりとて民家でもない。寮という感じとも違う。しいて言えば「屋敷」といった趣きだろうか。いずれにせよ中の様子はよく見えず、判断がつかない。寒いのと眠気とで、私の観察そのものが頼りなくもあった。
 管理人は、門の内側の守衛室にむかって声をかける。中から初老の男がのっそりと出てきた。精かんな印象はなく、ガードマンというよりも、留守番のご隠居といった風情の男である。守衛が門を開けると、管理人は勝手を知ったように中に入っていく。植え込みの間の小径を通って、建物の影に隠れた。何をしにいったのかわからないが、とにかく待つしかないようだ。
 初老の守衛も、門のすぐ内側で手持ちぶさたに待っている。
 学生がジェスチャーで「寒い、寒い」と訴えると、守衛は理解したのかしないのか、元気に体操をするジェスチャーで返してきた。そして、守衛室の中から鳥かごに入れたオウムを持ってきてわれわれに見せた。自慢かサービス精神か、それともヒマつぶしか。
 ──オウムなど珍しくもない。
 私は冷たく無視したが、二人は興味を引かれた素振りを見せ、守衛に対応してくれた。こういうときにも、三人でいると楽である。
 それにしても寒かった。
 足踏みをしつつ腕をさすってもみるが、まったく暖まらない。管理人はなにをしているのか、なかなか戻ってこない。オウムも、寒い戸外に連れ出されてさぞやいい迷惑にちがいない。芸のないただのオウムであった。
 いい加減に待ちくたびれたころ、ようやく管理人が戻ってくる。三人を門のなかに促し、自分は先頭に立って案内をする。私たちが入った門はやはり裏口のようだ。建物は、これまで見てきた街なかの無愛想なコンクリートの塊とは異なり、それなりに装飾がほどこされ、いくらか荘重な感じがする。
 管理人は、勝手口のようなドアの前に立った。呼び鈴を二、三度鳴らす。反応がない。管理人は焦ることなく待ち続ける。やがて、ナイト・ガウンをまとった四十くらいのおばさんが現れた。肉付きはよさそうだが、中年太りというほどではない。嫌味でない程度の、ほどほどの貫禄が備わっていた。大作りなロシア風の色白顔に、「いまごろ何よ」といった迷惑げな色が浮かぶが、文句らしい言葉も言わず三人を中に入れてくれる。
 事情は管理人が話していたのだろう。おばさんは事情を尋ねることもせず、通路を通り抜け、フロントらしき場所に私たちを案内した。そこに、四十前くらいの女性がもう一人いた。その女性は英語を話した「一泊五十ドルです。シングルもツインも五十ドル
 ──シングルも五十ってか。
 思わず心中で嘆声を発した。百ドルと言われないだけ、まだマシといえばマシだったが、ツインと同じ料金というのが納得できない。それがここのやり方なのだろうが、あまりにビジネスライクな調子に落胆せざるをえなかった。
「シングル二十五ドルでどうです?」
 私の打診は、しかしまったく取り合ってもらえない。こちらの立場の弱さにつけこんだとは思いたくないが、少なくとも同情の色はみえなかった。
「ツインにエキストラ・ベッドを入れたら、いくら?」
 社会人は代替案を出した。しかし、それもにべなく却下された。そのような柔軟な対応は、前例がないのかもしれない。
 ──強気だな。
 すでに二時を過ぎていた。おまけに外は寒さが厳しい。いまからほかを探すという選択は、ほとんどありえなかった。オーナー格のおばさんは、いかにも寝起きといった不景気な顔で両腕を組み、仁王立ちの格好で私たちの決断を待っている。交渉の意思はほとんどなさそうだった。イエスかノーか、二つに一つのようだ。
 たしかに、深夜に押しかけた私たちに負い目がないこともない。それでもシングルとツインが同額というのは、いかにも厳しい要求である。十ドルや二十ドルなら諦めもするが、五十ドルという大金である。
 交渉の糸口を探すため、まずは部屋を見せてもらうことにする。なにか欠陥があれば、難癖をつけることができるかもしれない。
 部屋は二階にあった。カギを開けてもらい、中に入る。
 ──ああ。
 その瞬間、形勢が彼女の側に大きく傾いたのを悟った。難癖をつけるどころか、いたって立派な部屋である。五十ドルの価値はあると思った。入ったところが四畳半ほどの細長い応接室で、ソファーとテレビ、携帯用の湯沸かし器が置かれている。ベッドは隣りの部屋にあった。その奥がバス・トイレになっている。調度品も粗悪ではない。むしろゴージャスといっていい。
「ぼくはここでいいですよ」
 社会人が妥協の姿勢をみせた。学生は多少不満のようだが、とくに反対はしなかった。私はすでに妥協の気持ちになっている。話は決まった。私は最後のあがきと知りつつも、
「シングル、二十五ドルでどうです?」
 と聞いてみる。相手は取り付く島もない。頑として五十を主張する。仕方がない。
「わかりました。それでいいです」
 女性陣二人は、ようやく片が付いたことで肩の荷を降ろしたように、眠そうな不景気面をいくらかゆるめたようにみえた。
「朝食は、八時から十時までです」
「わかりました」
 フロントでチェックインを済ませ、私はシングルの部屋に、そして社会人と学生の二人はツインの部屋に入った。テヘランの宿を出てからわずか一日半しか経っていないというのに、もう三日ほど無宿でいるような心持ちがした。荷物の整理をしてから歯を磨き、濡れタオルで体をふいた。
 午前三時半。私はふっかりとしたベッドに入った。