コソボ3日目の続きです。プリズレンに明日もう1泊することにしました。
明日の宿
明日ここを発つ予定を変更し、明日もプリズレンに泊まることにした。宿を替えてみることにし、Booking.comで探したところ、Oltasという宿が良さげだった。
場所が近くでもあり、様子見を兼ねてさっそく行ってみる。場所はすぐにわかった。じつはすでに何度か前を通っていたので、「ああ、ここか」と拍子抜けしたのが正直なところである。
ドアを入るとすぐ正面に受付。家の子どもらしき男の子が人を呼んでくれる。やってきた女将さんに、明晩、部屋があるか聞く。Booking.comで空きがあったので大丈夫なはずだ。メモ紙に名前を書かされ、おばさんがそれを宿帳に書き込む。Booking.comではたしか24€と出ていたけど、宿の定価は別なのか、20€と言われた。4€の差は大きい。
さて、これであさってのスコピエまでの宿が確保された。今日はゆっくり市内を巡ることにしよう。
昼 食
13:00アザーンなう。
13:15歩いているといちいち写真を撮りたくなるけど昼メシが先だ。カフェがたくさんあるものの、どういう軽食を出すのかわからない。日本のように店頭に料理のサンプルを置くのは無理としても、メニューリストを出している店すらほとんどない。地元の人が何を基準に店を選んでいるのか謎である。手堅くピッツァリアを探す。
そんななか、Pizzeria Buddha が賑わっていて、しかも店先にメニューの看板が出ていたので入る。
店の兄ちゃんに A keni pizza?(ピザはありますか)。
あとは英語。近くにあったメニューを見ながら簡単に説明してくれたので、Pizza katër stina にする。
来た。でかい! これでスモール?
13:50生地が薄かったので完食した(笑)。
✧ピザ+水 2.50
昼メシ
中心部の教会
川の南側には主要な教会が2堂ある。まずは手元の地図に Cathedral of Helpful Lady と書かれている教会。これはカトリック教会だ。コソボには東方正教会のセルビア正教だけでなく、カトリックもあるのだった。
扉が開いていたので中に入ってみる。世話係のようなおばさんと、その娘らしい中学生くらいの女の子が、祭壇の前で花の装飾を組み上げていた。女の子は私に気づくと照れたように薄く笑った。
頑丈そうな建物だが、中は質素で飾り気がない。むしろ、がらんとして空疎である。もしかしたらここも内部が破壊されたのかもしれない。この教会は後日再訪することになる。
カトリック教会
15:00聖ジョルジェ教会に来る。セルビア教会は警備が厳しく、入口でパスポートを預ける。
堂内では団体客がガイドの男から説明を受けている。祭壇に2幅の大きなイコン(宗教画)が置かれ、手前の祈禱場所に1枚ある以外は、壁に小さなイコンが並ぶばかりで、やはりがらんとしている。
祭壇の右側にあるイコンはこの教会の名前の由来になっている聖ジョルジェのようだ。ジョルジェはセルビア名であり、ギリシャ風にいえば聖ゲオルギオスになる。
ふと気がついた。何か物足りないと思ったら、正教会に必ずあるといっていい、最奥部の至聖所を隠すイコノスタシスという衝立(ついたて)もしくは壁がない。どうもこの聖堂は異色である。
グループが去るとガイドは英語で私に説明を始める。てっきりツアーガイドだと思っていたが、教会守のようだ。早口でよく聞き取れなかったが、教会守はそれを伝えるのが自分の使命だというように、堂内は1999年に完全に破壊され、現在の姿は修復されたものだと語る。イコノスタシスがないのはおそらくそのせいだろう。ここにも歴史遺産の喪失があった。
堂内は撮影禁止の可能性があるので、教会守がいないときにiPodで1枚だけさっと撮った。
✧賽銭 2€
聖ジョルジェ教会の中
外 観
登 坂
16:15そこから丘の中腹にある教会を目指す。救世主教会という、これも打ち壊されて廃堂となったのが、丘の中腹にある。つい10年ほど前の出来事であり、信仰の跡がまだ何か残っているかもしれない。
一番近い道で行こうと思っていたが、道端の案内板にお勧めルートのような線が引かれていたので、それをたどることにする。
宿でもらった観光地図には道に数字が書いてある。初めは気に留めていなかったが、よく見るとそれは道の番号だった。実際の標識にも番号が記されているので、番号だけで地図と照合できる仕組みになっている。
たとえば、救世主教会に行くにはまず351番の街路に入る。かしましい女子ガキたちが遊んでいる。子どもは珍しいものに目ざといので、こちらからハローと先制しながら脇を通り抜け、350番に行こうとしたら民家! たしかに小道が続いているが境界に戸があり、中は個人宅である。350番は公道ではなく私道だった。
仕方なく引き返すと女子ガキたちにつかまる。小学校低学年くらいの6、7人。男の子が2人いるが影が薄い。女子らは口々に何か言いながら、上の道をぐるっと回って行く仕草。「だから行き止まりって言ってるのに」などと言っているのかもしれない。ガキたちは見るからに色白でセルビア系かと思えたのに、Dobar dan(こんにちは)が通じない。どうやらアルバニア人のようだ。思えばここプリズレンではセルビア人の迫害が激しかったようなので、セルビア人はもう残っていない気がする。相手が子どもだからよかったものの、不用意にセルビア語を話すべきではないと自戒。
適当に切り上げて坂をさらに登る。
349番の道を入る。多少は遠回りになるがこれも救世主教会に通じている。
しかし、これもよそ者がまず通りそうにない、私道感あふれる小道だ。なんとなく遠慮がちに進むが、アップダウンがあり、おのずと呼吸が乱れる。つい迷い込んだという素振りで視界の悪いくねった道を行くと、最後は無事に341番の道に出た。
丘の中腹の道
救世主教会
川から上がってくる道と合流する。あとは337番の道を150メートルほど行けば目指す教会だ。しかし、これが心臓破りの坂。城跡もこの道から行くらしく、城跡を目指す行楽客らもあえぎながら登っていく。途中で休憩を入れながら何とか教会の入口に立つ。
外壁は比較的きれいだ。多少期待を込めながらガラスのない窓から中を覗くと、内部はまったくのがらんどうで屋根も床もなく、一面に草が生えていた。
救世主教会の内部
教会の脇には1人の兵士と知人らしき私服の男がいた。兵士は双眼鏡で市内を見ているので最初は任務かと思ったけど、私服の男とリラックスしてしゃべっているので非番かもしれない。ここからプリズレンの市街地が一望できるのだった。
本日の1人市内ツアーはこれにて終了。市内をゆっくり巡るつもりが逆にすっかり疲労した。とくに最後の坂がきつかった。橋まで下りて休憩だ。
救世主教会からの眺め
(2014.6.28 記、2015.3.21 改)