コソボ3日目です。前日の夕方にプリズレンに来ました。
プリズレンまでの行程(Googleマップを加工)
プリズレン
朝
6時半ごろに男2人が廊下のあたりでしばらく物音を立てているのに起こされる。いい時間なので起きて顔を洗う。バス・トイレ共用は何かと面倒だけど、コソボは宿が無意味に高いので仕方ない。
7:05今朝は昨日のようなアザーンは聞こえなかった。昨夜は石橋近くのレストランではっきり聞こえたので、宿の位置や部屋の向きによるのかもしれない。時差ボケがそろそろ消えつつあるので、日の出前のアザーンが聞こえないのはありがたい。
昨日、暑いなか修道院まで歩いたのが効いたのか、体が重い。朝メシの8時まで、昨日できなかった日記書きをやろう。
8:20朝メシのために1階に降りる。ロビーでコーヒーか紅茶を淹れていた給仕係のおじさんは、隣の部屋ではなくここで食べろという仕草。
ロビーは団体客で混んでいた。といっても6、7人くらい。ツアーにしては空気がこじんまりまとまっている。気になったので、隣のおばさんに Jeni nga ku?(どちらから?)とアルバニア語で聞いてみるが通じない。そうだ、外国から来ているのだと気づき、英語で聞くとトルコ人だった。3台の車で来ていて、これからアルバニアに行くという。
朝メシは基本的にパンとコーヒーか紅茶というシンプルな内容だが、テーブルにはイチゴが盛られている。赤い果実を入れた深皿が置かれているだけで食卓が華やぐ。大きさは不揃いだし、たまに虫食いもあるが、むしろそれが自然。
朝 食
9:00食事と歯磨きが終了。
9:25Tシャツと下着を洗濯してざっと荷物整理。いざ、出発。
本 屋
まずは本屋のチェックから。プリシュティナで目当ての本屋に行きそびれた残念さが、いまだみぞおちの辺りにわだかまっているので、それを払拭するべく本屋を目指す。
ガイドブックに載っている本屋を目指すが、詳しい場所がわからない。川沿いのカフェで休む若い男に Unë po kërkoj libraria.(本屋を探しています)と問うてみる。男は自分に確認するかのように「リブラリーア」と声に出す。私が言った「リブラーリア」は、強勢アクセントの位置が間違っていたようだ。そんな発見をよそに、男は真っ直ぐ行って……と、橋を渡るジェスチャーをする。Faleminderit!(ありがとう)
ありがとう、という言葉はおそらく旅人がよく使う言葉トップ3に入ると思うが、たまに言いにくい言葉がある。アルバニア語のファレミンデリッ!はその代表格だろう。ただ、人が言っているのはあまり聞いたことがなく、店などで言われる単語はもっと短く聞こえるので、簡略形があるのではないかと私は睨(にら)んでいる。しかし、確認する機会を得なかったので、長ったらしいと思いつつ、コソボでは仕方なく Faleminderit! を使っていた。
朝のルンバルジ川
本屋は橋を渡るとすぐ左手にあった。
店内は少し暗い感じの小さな本屋で、個人的にめぼしい本はみつからず、買ったのは絵葉書1枚のみ。ただ、日本語で「クリスマス包装紙」と書いた小さな紙箱に目を引かれた。いったい何の因果でイスラム国にクリスマス包装紙なのか。いや、そこではなく、日本の中古品がどうやってこの本屋に行き着いたのか。
これはぜひ写真をと思い、店主とおぼしきおじさんに写真を撮っていいか聞く。正確な表現がわからず、Mund të bëj fotografi? と言ってみる。写真を撮る仕草をすると理解してくれ、「ああ、いいよ」という感じの返事が返ってきた。
✧絵葉書 0.50
周囲に調和していた紙箱
本屋の店内
生神女教会
昨日行きそびれたデチャン(セルビア語:デチャニ)に行くため、適当に歩きながらバスターミナルに向かう。大通りばかりではつまらないので横道に入ると、偶然にもリェビシャの生神女(しょうしんじょ)教会に出た。ラッキー! 東方正教ではマリア様のことを生神女と呼ぶ。
警官らしき警備員に、Mund të bëj fotografi? と聞きながら写真を撮る仕草をすると、勝手にどうぞ、という風であった。とはいえ、正面は鉄扉で固く閉ざされているので、道から塀越しに撮るしかない。
この教会の建立は14世紀というが、残念ながらいまは廃墟である。アルバニア人とセルビア人の対立の渦中で無残に破壊されたという。外壁こそ残っているものの、道からのぞくかぎり中はがらんどうのようだ。庭も雑草が生い茂っている。
リェビシャという名前は浅学にして聞いたことがない。いったい何なのか。
帰国後に調べてみると、「リェビシャの生神女(しょうしんじょ)」というのは、どうやら生神女マリアが幼子イエスス(西側でいうイエス)を抱いている宗教画(イコン)の形式をいうようだ。英語版ウィキペディアでは、この教会の項(欄外のリンク参照)に母子像の写真が載っているので、名前はその母子像のイコンに由来するのかもしれない。
いずれにせよ、そのイコンはもはや完全な姿をとどめていない。これは宗教や民族のレベルを超え、人類の歴史遺産の喪失である。
リェビシャの生神女教会(塀には有刺鉄線が張られていた)
旅 程
寄り道をしながらゆっくり歩けば疲労も少しはまぎれるかと期待したが、疲れが回復する気配がない。デチャンはバスで片道1時間半の行程だ。どうも遠出できる感じではなかった。
少し先の三叉路で立ち止まり、デチャン行きを明日に延期できないか、旅程表を見ながら考える。明日はモンテネグロに発つ予定になっている。これをずらすと後の行程がうまく回らない。
——さればモンテネグロをやめたらどうか?
なるほど、そういう案もある。ゼロベースで代替案を出して検討する。第一のポイントは宿の確保だ。この辺りは安い宿が限られるので、予約しておくのが無難である。道端にいても埒があかないので、宿のwi-fiでネットにつないで調べることにする。
11:00ということで、途中、郵便局に寄って場所と営業時間を確認したあと、一旦、宿に戻ってくる。旅程の再検討だ。
✧Schweppes Bitter lemon 0.60
道端に置かれていた花(路上の花屋?)
とある丁字路
(2014.6.25 記、2015.3.21 改)