(前編より)
耳当ての付いた毛織りの帽子をずっとかぶっている。鏡を見る機会がなく、かぶっていることすら忘れるほどしっくりと馴染んでいる。地元の人の目にどう映っているか知らないが、おかげで北国の寒さを気にせずに歩いている。
聖三位一体教会から数分歩くと広場に出た。旧市庁舎の横に入っている観光案内所にまず寄る。
先客の白人夫婦がカウンターの若い男に何かを教わっている間、聞きたいことを頭のなかで整理する。整理といっても、聞きたいことはひとつだった。先客の用事が済んだタイミングでカウンターに行き、近くに本屋があるか聞く。外国で本屋に行く目的はたいてい2つだ。その国らしさが感じられるポストカードと、現地語のポケット会話集である。カウンターのお兄さんは市内地図を広げ、3、4か所に丸を付けてくれる。ついでにもうひとつ、空港バスの乗り場を教えてもらう。ここからだとやはり駅前が一番近いようだった。
礼を言って外に出る。さっそく一番近い本屋に行ってみることにする。
旧市庁舎と広場。左端の扉が観光案内所
1軒目の本屋を目指して歩き出したときにそれは起こった。ノイズの多い尖ったオーラを発する色白の若い男が前から歩いて来る。男は目的地に向かってふつうに歩いている風だったので、気づかないふりですれ違おうとした直前に、
——Hello. How are you?
と、声を掛けられた。
一瞬ぎょっとして思考が止まる。顔は笑っていないどころか、こわばった表情を1ミリも崩さず、まるで出会い頭にいきなり切りつけてくるような、感情のない金属音のような声だった。相手に絡ませるスキを与えてはいけないが、かといってもちろん無視もできない。私が目一杯自然に、
——Hi!
と軽く答えると、男は何事もなかったかのように通り過ぎた。
この対応が正解だったかどうかは帰国後も謎のままだが、少なくとも事件に発展しなかったことを思うと、結果的によかったのだろう。
気を取り直して本屋巡りを再開する。1軒目は人文系らしい本を並べた小さな本屋で、外国人旅行客を相手にする店ではなかった。不安を感じながら着いた2軒目がブックカフェVagaだった。日本でも最近この手の本屋がぽつぽつ出来ているが、少なくともビルニュスの街並みにはとても自然に溶け込んでいる。
入って左がカフェで、右が本屋である。本屋に来たのはあくまで寄り道なので長居はせず、絵葉書2枚とビルニュスの紹介冊子をさっさと買う。合計25リタス弱だった。
ところで、リタスはリトアニアの通貨だが、翌年(2015年)の元日からユーロに切り替わることが決まっている。なので、リタスを目にするのはあと2か月足らずである。もとより行きずりの私はあと数時間でこの街を去る。しかも手元のリタスはATMで引き出したため、為替レートすら知らない。これまでの買い物から、2リタスで1ユーロくらいの物価だと予想している。どのみち財布にはまだあと100リタス余り残っているので、普通に使っていれば出国まで十分もつはずだ。
ブックカフェVaga。入って左がカフェ
買ったばかりのガイド冊子を見て次の予定を考える。ビルニュスの旧市街は意外と広く、「夜明けの門」をついさっきくぐったばかりなのに、北側にある宮殿や城跡まで行く時間は残っていなかった。いや、駅まで戻る時間を考えると、近場の教会をあと1つか2つ見るのがせいぜいだ。なので、一番気になっている〈生神女(しょうしんじょ)就寝大聖堂〉を見に行くことにする。
リトアニアのキリスト教は基本的にカトリックだが、この教会は東方正教である。東方正教(東方正教会、正教会)は、ギリシャ時代からの古いキリスト教を維持するとされる宗派グループである。他の旅行記に書いたことがあるが、〈生神女〉は東方正教で聖母マリアを意味する。また〈生神女就寝〉はカトリックの聖母被昇天に当たり、マリア様の永眠を意味する。なので、生神女就寝大聖堂は、マリア様の永眠を心に刻むための教会ということになる。
持ち時間が減ってきたので先を急ぐことにする。
場所は旧市庁舎から近いが、似たような脇道を抜けて川沿いの道に出ると、もうそこは街外れの空気で、小橋の先に、四角と中央に丸い塔を立てた教会が孤高に建っている。靴音高い中心部の教会とは違い、正教会のゆえもあってか訪れる影もなく、多少の秘めやかささえ漂っていた。
中はいくらか横長で、奥行きはあまりなかったが、その分、イコン(宗教画)をずらりと敷き詰めた正面の壁が否応なく目に入る。これは正確には壁ではなく、その奥にある「至聖所」と、信者が祈るこちら側の広間とを区切る仕切りであり、イコノスタシスと呼ばれる。1枚1枚のイコンだけでも相当に年季が入っているのに、それが少なくとも四、五十枚集合して一面をつくりあげると、なかなかに重量感がある。重量感といってもイコノスタシスは木製のようなので、日本の寺に似た、木肌のぬくもりのある重みである。
波長の合う教会ならしばらく佇(たたず)んでいたいのだが、部外者にはとりたててやることがなく、手持ち無沙汰に陥るのが常である。そこで、お参りと手持ち無沙汰の解消を兼ねてろうそくを買うことになる。多くのイコンから静かに放たれてくる宗教的和音に感化された私は、ちょっと奮発して2リタスのろうそくを4本買う。
ろうそくを立てる献灯台はあちこちにあるので、適当に巡りながら1本ずつ献灯する。そうしている間にも、時おり地元の信者が訪れる。生活の一部になっているのか、お参りの所作は流れるように自然で、それでいておざなりではなく、集中して祈っている。こういう無心の祈りが堂内の神気を高めていくのだろう。
帰り際、出入口近くの教会守の男に写真を撮っていいかジェスチャーで尋ねると、良さそうだったので、手際よく撮って退出した。
外観がどこかオシャレな生神女(しょうしんじょ)就寝大聖堂
中の様子
教会で気持ちが満たされた私は、他にどこにも寄らずにその足で駅に戻った。軽く何か食べてから空港だ。
空港バスに乗ろうと駅前を探してもバス停が見つからなかった。少なくともAirportとか何とか書いた標識くらいはあってもよさそうなのに、駅前の通りをどう探してもない。別のバス待ちの人に英語で聞いてみるが、よく知らないようだった。駅周辺はどうもあまり部外者を意識した造りになっていない。旧市庁舎の観光案内所の充実ぶりとは対照的である。
成果のない探索を打ち止めにし、仕方なくタクシーを拾った。年末で廃止になるリタスをいくらか保存したかったので無用な出費はできれば避けたかったが、やむを得ない。
おかげで空港には予定の時間に到着し、待合所でゆったり過ごすことができた。早めに移動したゲート前は寒かったが、それでも搭乗時に女性係員がQRコードをスキャンしながら、
—— Have a nice day!
と掛けてきた言葉に、ビルニュスの旧市街を歩き回った旅の疲れがふわりと消えていく思いがした。
リトアニア航空の簡素なEチケット(一部)