ATMで半日分の現金を引き出してから荷物を預け、出歩きかばんをきゅっと肩に掛ける。外の寒さは覚悟していたが、空港ターミナルの周囲は建物もまばらで、風景がしんと冷え込んでいた。
ターミナルの向かいにバス停がある。親切にも全体の路線図が掲示されていたので、中心部だけiPodで撮っておく。目の前に3G番と88番のバスが前後に並んで停まっている。路線図から、鉄道駅に一番近いバス停は〈スパルタ〉だと目星を付け、3Gのバスに乗り込む。
市街地に入るには多少の時間がかかるだろうと油断し、窓外の様子をぼんやり眺めていたら、いきおい建物が増え始める。私はあわてて路線図と見比べ、現在地を探る。目指すスパルタの停留所には、空港からほんの10分ほどで着いた。
停留所から大通りに沿って鉄道駅に向かう。思ったより距離があったが、簡単な地図でも迷うことはなかった。駅舎は真新しく清潔感にあふれていた。空港ターミナルもそうだったが、小ぶりな印象は否めない。駅の中がまたシンプルで、切符売り場や待合所のほかには小さな売店があるくらいだ。首都の中央駅なのだからもう少し自己顕示があってもよさそうなのに、この抑制具合が良くも悪くもリトアニアなのかもしれなかった。
ビルニュス駅
一方、駅前の長距離バスターミナルは店舗も人の出入りも多い。どうやらこの国では、鉄道よりバスのほうが生活の真ん中にあるらしい。
じつは先ほどからある物を探していた。グルジアの宿を出るときに中にヒートテックを着込んで来たので、体は寒くないのだが、首から上が予想外に寒かった。とくに耳がじんじんと痛む。なので耳当てが切実にほしかった。鉄道駅の簡素さに落胆したのは、店がないせいでもあった。一縷(いちる)の望みを引きずりながら長距離バスターミナルで店を探すと、ヘッドホン型の都会的なものは見当たらなかったが、そのかわり、毛糸で編んだ耳当て付きの頭巾を見つけた。
装飾のない、ベージュ一色のシンプルな帽子だ。だがどう見ても大の男がかぶるような代物ではない。幸い、ビルニュスはファッションを気遣うほどの都会ではなさそうだ。何より耳をいたぶる冷たさは耐えがたく、外見に頓着(とんちゃく)していられないというのが実際だった。値段も手頃だったのでその場で買い求めた。
防寒態勢が整ったところで、旧市街の観光に出掛けることにする。
「夜明けの門」から旧市街に入る。夜明けの門は現存する唯一の城門だという。城門といっても、大阪城のように武士が造った機能一徹の防御門ではなく、おそらくは後世のアレンジだろうが、今は礼拝堂を備えた教会風になっている。
門をくぐってまっすぐ北に上がると、右手に小ぎれいな教会が現れる。聖テレサ教会である。そして道を挟んだ向かい側、つまり道の左手の、少し振り返った奥に、てっぺんに十字架を載せた門がある。その胸に当たるところに、大きく500と書かれた幕が掛かっている。
何かのイベントの告知かと思ったが、それにしては日付らしい数字が見えない。近づいてよく見ると、英字でリトアニアとウクライナがどうとか書かれている。両国に関する何かの周年記念だろうか。気になって帰国後に調べたところ、1514年にポーランド・リトアニア連合軍がロシアとの戦争に勝利したという事績を見つけた。しかし、ウクライナとの関係性がわからなかった。
500の意味はとりあえず置いて、敷地に入ってみる。ここは〈聖三位一体教会〉というようだ。100メートル足らずの進入路の先に、東西方向を向いた四角い建物がある。どうやらそれが教会堂であるらしかった。
運良く扉の鍵は開いていた。重い扉をずずずと引いて中に入る。
幅のやや狭い身廊(しんろう)が奥の祭壇までまっすぐに伸びている。身廊というのは、入り口から祭壇までの広間の部分のことだ。左右の列柱のひとつひとつにイコンと総称される宗教画が掛かっていて、規模は小さいながら宗教的に手の込んだ教会堂と見えた。
堂内のシンプルな構造や、イコンを中心に据えた祭壇の様子、そしてウクライナとの関係などから、てっきり東方正教の教会だと思っていた。ところがネットの紀行文などを読むと、「ウクライナ・カトリック」の教会だと書かれている。
ウクライナとカトリックの異色な組み合わせがおもしろいと思い、さらに調べてみると、〈ウクライナ東方カトリック教会〉という宗派があった。名前に見える「東方」は東方正教のことだ。東方正教は古いキリスト教を維持するとされる宗派グループで、1054年にローマカトリックとはっきり袂(たもと)を分かっている。祈りは東方教会の流儀で行い、組織としてはローマ教皇の権威に従うという、どうにも和洋折衷、いや東西折衷の、珍しい宗派だった。
しんと静まりかえった湖底のような堂内に身を置き、しばし心を鎮めた。
聖三位一体教会につづく門
聖三位一体教会の内部