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 グルジア雑記 
えにし
経巡るグルジアトビリシの縁
 
3宿探し
 プリントアウトしたGoogleマップをのぞきのぞき、かれこれ20分は探しているだろうか。地図のバルーンが示す坂の上は、たいして広い場所ではないのに、一通り探し歩いても宿らしきものはまったく見当たらない。
 教会前にちょっとしたスペースがあったので、頭の冷却を兼ねて少し休む。こうなれば最後の手段。私は鞄から携帯電話を取りだして宿に掛けた。
 おかしい。グルジアで国内に掛けるには番号をふつうにダイヤルすればいいはずなのだが、どういうわけか、番号違いのようなアナウンスになる。もう一度試しても同じ結果だ。
 ——困ったな。
 ようやく開くかと思えた目の前の扉が、ふたたび固く閉ざされた。旅先で宿に電話したことはこれまで何度かあるので、今回も最悪はそうすればいいと思っていた。電話が通じないとなれば、あとは自分の足で探すしかない。気落ちした気持ちが戻るまで、しばらく石段に座っていよう。まだ午後3時なので、慌てる時間ではない。
 そのとき、向かいの家からおばさんが出てきた。おばさんは少し前に外から戻ってきたときに、私に声を掛けてくれていた。渡りに船と、ホープという宿を探していると答えたが、知らないようだった。個人営業の小さい宿のはずなので、ごく近所の人しか知らないのかもしれなかった。
 私がいまも相変わらずここにいて、手に携帯電話を持っているのを見て状況を察したのか、携帯を貸してみろという仕草。携帯を渡して番号を見せると、親切にも電話を掛けてくれる。数秒して相手に話しかける。しかし相手はやはりアナウンスなのか、どこか中途半端な感じで電話が切られる。手持ち無沙汰の空気が残るなか、アスカナ通りの1,2番地だと住所を告げると、1,2番地なら坂の下だという。
 地図のバルーンは坂の上を指しているが、どうもこの辺りにはなさそうなので、言われたとおりに坂の下まで下りることにする。
 面倒なことがひとつあった。アスカナ通りの隣の坂道が工事中なのだ。ロープが張ってあるわけではないが、再舗装なのか、道の表面を剥がしていて近づけない。この坂道の根元の、アスカナ通りから分岐するあたりを調べたいのだが、いままさに作業をしていた。
 仕方がないので、監督者らしき、がっしりした体格の男に、ホテル・ホープを探していると言ってみる。そう言ったつもりだったが、アドリブで言ったため、ホテルに当たるロシア語のガスティーニツァ(гостиница)が出てこず、間違ってMr.に当たるガスパヂン(господин)を使ってしまった。つまり〈ホープさん〉を探していると言っていたのだった。
 親方は〈ホープさん〉を知らないようだったが、住人ではないし、もとより期待はしていない。続いてアスカナ通りの1,2番地という住所を告げると、親方はめんどくさそうな素振りも見せず、むしろ教えることが自分の責務だとでもいうように、締まった表情のまま坂の下側を指す。住所を元に聞くかぎり、宿はどうやら坂の上ではなく下にあるようだ。蛇足ながら、ソ連崩壊前のグルジアでは第2外国語は当然ロシア語なので、ある年齢以上の人は外国人に対してロシア語を使う。一方、若い人は英語を習っているので、多少の英語を話す。
 工事現場を避けていったん坂の上まで登り、そこからイェルサリミ通りに下りてアスカナ通りに戻る。少し先に、こちらに手を振ってくるおじさんがいる。
 ——もしかして?
 到着が遅くて様子を見に来たのだろうか。わかりにくくて申し訳なかった、というようなことを英語で言うと、おじさんは私を右手の門に誘(いざな)う。青いペンキが塗られた、何の変哲もない門である。自力で見つけることは絶対に不可能だ。
 門を入ると、長屋風情の平屋建てが、小さい中庭を囲んでコの字型に並んでいた。囲われた空間の中には、風のない湖面のような穏やかな静寂が満ちている。おじさんの先導に従い、やっとのことで別棟の角部屋に落ち着いた。外は上天気なので、少し休んでから近くのメテヒ橋に向けて歩くとしよう。

ゲストハウスの入口

雨上がりのイェルサリミ通り(後日)
(2014.11.09 記)