トビリシの中心部をずんと貫くルスタベリ大通りを、南東側の自由広場から真反対のルスタベリ広場まで地下鉄で一駅、そこからさらにY字路を左に歩くと、建物が少しまばらになってくる。ここからチャウチャバゼ通りくらいまでは多少の場末感がある。一抹の寂しさを感じながらスマホに落とした地図を眺め眺め、ようやく目的の筋を見つける。クランクに曲がった道の先に、ただHOTELとだけ書いた建物があった。
最初の宿はすでに3泊したので宿を替えたのだった。前の宿もけっして悪くはなく、管理人夫婦もいい人たちだったが、気分を変えたかったし、何より4泊するには少し殺風景な部屋だった。前日の寒さで体調が芳しくなかったこともあり、もう少し明るくさっぱりした部屋に移りたいと思った。
新しい部屋で少し休んだあと、昼メシを兼ねて外に出てみる。大きめの三叉路を向かいに渡ると、格調のある、しかし偉ぶる感じのない建物がいくつか並んでいる。トビリシ国立大学だ。おそらくグルジアの東大的存在ではないかと思うのだが、これについては未確認である。
ちょうど昼休みなのだろう、平日の正午過ぎとあって通りや敷地内を多くの学生たちが歩いている。京都などでもそうだが、学生たちは見えない未来を恐れもせず、無邪気な希望をそこここにまき散らしている。遠い昔、将来が定まらず、森をさまようような漠とした日々を送っていた自分をふと思い出した。現在の私は、学生特有の、多少危なっかしくもほほえましい空気の中をゆっくりとすり抜け、大通りを丘側へと渡る。
トビリシの中心部は信号が少ないかわり、地下をくぐる横断道がところどころに設けられている。極東のロシアやアルメニアでもそうだったが、主だった横断道には両側に商店が入っている。業種はまちまちで、雑貨屋、美容室、文房具屋、靴屋、パン屋など、たいていは生活に密着した店である。トビリシ大学前の地下道では、壁が浅い棚になっていて、専門書っぽい本が表紙を前に向けた、いわゆる面置きの形で壁一面にずらりと陳列されていた。狭い通路なので立ち止まって本を選ぶには難があるが、ほしい本があれば管理人に聞くことはできるだろう。いい立地だとは思うが、はたして商売になるのか気になるところである。
大学前の地下道
ある校舎前の風景
昼メシは、そこから少し丘側に入ったイタリア料理屋でパスタを食べた。腹の具合がよくなかったので軽めの食事にした。ファストフードではなく普通のイタリア料理屋だったこともあり、パスタ1品で13ラリもした。850円くらいである。
店を出たあとはそのまま丘に向かって進み、バルノフ通りの周辺を少し歩いてみる。この辺りはベレ地区と呼ばれるようだ。半地下の店が数軒並んだなかに、100均ならぬ1ラリ均一の店があった。1ラリはレート的に65円ほどだが、トビリシの物価感覚では100円近い価値があるように感じる。いったいどんな商品があるのか、興味にまかせ、数段の階段を降りて中に入ってみる。
6畳もないくらいの小さな売り場だった。そこに雑多な商品がこまごまと並んでいる。日用雑貨、台所用品、文房具、化粧品など、実用的なものが多いが、やはり65円では限界があると見え、どれも安っぽい印象をぬぐえない。ひやかしだけで店を出れば、
——めぼしい商品はないな。
というこちらの心裏が見透かされそうな気がして、日本でも使えそうなマイクロ不織布を1枚買って店を出る。値段はもちろん1ラリである。
1ラリ均一店(看板は「どれでも1ラリで」)
交差点に戻り、大学からの道をさらに丘側に進んでみる。坂がややきつくなった先で視界が大きく開け、団地が現れた。ちょっと見にゴーストタウンかと見まがうようなコンクリートの箱が、いくらか不規則にぽつぽつ建っている。よく見るとそこまで荒れてはおらず、たしかに老朽化が進んでいるものの、日常は(たぶん)つつがなく維持されているのだろう。ただし、装飾のかけらもない、のっぺらな直方体の、典型的な旧ソ連のニュータウンである。
もう少し奥のほうまで見たい気持ちはあったが、無理は禁物と思いとどまり、遠景の写真だけ数枚撮って、曇天の下、そのまま別の道から戻ることにした。
旧ソ連時代の団地