遙かにバルカン
ウィーン〜イスタンブールの旅日記
〈復刻版〉
20数年前の学生一人旅
灰色の街 ザグレブ
198某年 310日( 4日め(つづき)
 グラーツから列車に乗ってユーゴスラビアに入国しました。まもなくザグレブに到着です。
 
ザグレブ
ザグレブ:当時は旧ユーゴスラビア連邦の主要都市のひとつ。現在はクロアチア共和国の首都。

ウィーン → ザグレブ移動図(Googleマップを加工)
ウィキペディア
 駅の i観光案内所でユースホステルの住所。しかし聞き間違えたのか、右と左を逆に進んでわからなくなる。ウロウロ探しているうちに町なかの i を見つけ、そこできっちり教えてもらう。
アイコン 両替 $40 → Din 12,579
(Din=ディナール、1ディナール=約0.6円)
 ユースの窓口に人おらず、ハンガリー人の旅行者2人が来て少し英語で話をするが、すぐに行ってしまう。やがて、おっさん現る。オレを見て「コンニチワ!」
 102号室には日本人。北海道岩見沢の人。
出費
・バーガー Din 180
・ユース Din 950
アイコン今日のディナール残:11,449
311日( 5日め
 8:00日本人とユースをチェックアウトし、荷物を預ける。
 で地図をもらい、ぼくはクシェット簡易寝台のチケットを取るために彼と別れる。トミスラフ広場17番地(Trg kralja Tomislava 17)のオフィスでサラエボ行きのクシェット。
出費
・朝メシ Din 235
・ザグレブ→サラエボのクシェット Din 599
 (1ディナール=約0.6円)
 さっき思ったのだが、クシェットのチケットは寝台料金だけなのだろうか。サラエボまで全部で400円ということはなかろう。
 共和国広場のサテンでジュース(Din 150)。
 ザグレブという町は薄汚い町である。空も曇っていて、どんより。歩道脇によけた雪も灰色をしている。ウィーンはほとんど真っ白のままだったが。それに、雪の解けた水が屋根(ひさし)からポタポタ落ちてくるので、歩きにくい。
 一晩寝て、すがすがしい朝の空気を吸えば、まあ慣れてきたこともあって、あまり感じなくなった。ただ、荒涼とした感じは否めない。
 教会の中で結局11時をまわった。12時までに昼メシは済ませたほうがよい。
 教会の向かいのレストランに入る。メニューが出されたが、どうせわからんと思って I don't understand.すると、beefだとか何とか聞いてきた。「ラム」というのが聞き取れたので「ラム!」と。飲み物は「ビーノ?ワインに対して「ビエールビールと。
出費昼メシ Din 2105
 なんと、1400円の食事であった。しかし、今夜の宿代がクシェットの400円なので、かまわないのだ。
 昼メシのあとは、少し辺りをうろついてから共和国広場にもどる。広場から商店街をひやかしながら西へ行くと、アッパータウン丘の上にある旧市街に登るケーブルを見つけた。この辺りにはLevisとかKodak、Seikoなど、かなり西側のものが出回っている。値段は日本とそれほど変わらないもよう。
 アッパータウンからは学生らしき若者があふれ出てくる。大学でもあるのだろうか。ちょっとわからない。面白いのは、道のただ中にある教会[*1]
*1:日記帳のメモによると、建物の中を道が貫通し、道の片側にはキリストの像が、逆側にはろうそく立てやイスが置かれている。おそらくこれは「石の門(Kamenita vrata)」だろう。なお、像は正しくはキリストではなく、マリア様のようだ。
石の門   石の門
↑「石の門」の入口と中(撮影は2011年)
 屋根がモザイクになっている教会もあった[*2]。ある程度ぐるりと廻って、来たときと同じ、板の階段を下りる。
*2:たぶんサン・マルコ教会のこと。下の写真参照。
サン・マルコ教会
(撮影は2011年)
 もう一度、共和国広場にもどり、次は動物園を目指す。少し遠そうだが、時間は充分にあるので、自分の足で歩いてみる。
 広場を東進。マルティチェフ通りをどんどん東進。かなり来た辺りで斜めの大通りと交差。ここを北上すると200mほどで広場。そこではバザール。野菜や果物など、いろんなものを売っていた。これは私設市場なんだろうか?(社会主義国にそんなものがあるのか?)
 そこを東進してマクシミルスキー通りを行くはずだったのだが、五叉路だったので南西から東に曲がったつもりで南下していた。入った通りはヘインゼロフ。行けども行けどもそれらしいものが見えないので、地図の縮尺を疑い、諦めて引き返すことにした。念のために大きな交差点で自分の位置を確認してみると、何のことはない、五叉路で曲がったときに通りを間違えていたのだった。
 〈メモ〉ユーゴの数字(お札より)
 10: deset
 20:dvadeset
 100:sto
出費
・絵はがき・切手 Din 420
・オレンジ2つ Din 270
 駅前からバス・ターミナルに抜ける地下道にはいろんな店があって楽しい。果物も色とりどりできれいであったし、靴屋・日用品屋等々。駅側の端には本屋+レコード屋があって、ウィンドーにはアメリカ盤がけっこうあった。
 びっくりしたのは、RFTW[*3]が目立つところにあったこと。あと、Wham、Madonna、Duran2、Springsteen、Sheila E.、Dead or Alive、Paul Young。
 日本人旅行者とすれ違ってびっくり。物好きなやつ。
*3, RFTW:Ready for the World。当時お気に入りだったアメリカのソウル・ファンク系グループ。代表曲は“Oh, Sheila!”
 今夜の列車はザブレブ着が夜の9時半で、まだあと3時間半もある。いったいこの寒空の下、どうやって時間をつぶせばいいのか。このビュッフェでも、せいぜい稼いで30分……。
 それにしても、このパイは何とも言えん味がする。いちおうポテトのパイのようだが、やたら塩辛い[*4]
 ふぅー午後6時15分。
 i観光案内所で聞くと、やはりあの切符は寝台券であったつまり運賃は別。したがって2等切符を買う。
*4:いわゆるブレクだと思われる。
出費
・パイ(塩辛い) Din 220/コーラ Din 150
・チケット:ザグレブ→サラエボ Din 1350
・荷物預り Din 32
・使途不明 Din 80
 ようやく9時10分になった。
 観音寺疾走[*5]はなかなか良かった。シンガポールで本を買ったのは本当に正解だった。
*5:詳細不明。小説か作家の名前のようだが、何かを略したのかもしれない。シンガポールでのトランジットの際に空港で買った本のようだ。
 何とか列車に乗り込んで、25分遅れで発車。
 コンパートメントはモスタール地名の母子+1人。兄ちゃんは少しドイツ語ができたので、ほとんど雰囲気で会話が成立。彼はザグレブで勉強していて、これから実家に帰るという。本州、四国、九州、北海道、天皇の名前などを連発してくれた。
 ぼくは眠かったのですぐ眠りに就いたが、やはり大して寝れはしない。
会計
アイコン今日のディナール残 Din 5588
2版/2010.5.23
写真の追加/2011.10.8
地図の追加/2015.8.08