遙かにバルカン
ウィーン〜イスタンブールの旅日記
〈復刻版〉
20数年前の学生一人旅
いざ 旧ユーゴへ
198某年 39日( 3日め/ウィーン
ウィーンから列車に乗り、まずはグラーツという町に移動します。
 おっと、電車が動いた!←何に感動してるのかは不明(笑)
 30分弱でWiener Neustadtウィーンの南にある町。この辺りまで来ると、町の教会にトルコ的雰囲気が混じる。
 Wiener Neustadtを出ると松林。どこまで続くのやら。それにしても、外はむちゃくちゃ寒そう。

 ……ウィーンより40分。雪の中に家が散在。他には何もない。

10:47オーストリアに来て、初めて日の光を見た。山間をかなり登ってきた。赤松と白樺の林。
 
グラーツ
ウィキペディア

ウィーン → グラーツ移動図(Googleマップを加工)
 定刻にグラーツ着。直前まで町らしい町が現れず、はたしてどんな所に降ろされるのかと思ったが、まあまあの規模の町である。地図 38シリング。
 駅のi観光案内所でユースホステルの住所とグラーツのパンフをもらう。日本語のものも置いてあった。
 駅を出て中心部に向かう。ウィーンとはどことなく雰囲気を異にする。やや異境の町という感じ。つまり、ウィーンに比べてヨーロッパ的な感じが薄い。丸屋根の教会のせいだろうか。
 市庁舎から路地に入り、教会などを見学。丘の上に行こうとするが道がよくわからない。結局、迂回する格好で坂道を登っていく。時計塔はとてもいい感じだ。
 下りは、何たらbergbahnで下りる。5シリング。再び市庁舎に出て、今度は突き当たりまで。マクドナルドをみつけ、ためらわずに入る。
出費昼メシ S 45(ビッグマック 30、ファンタ 15)
 路地をゴチャゴチャとさまよっていると、向こうから来たおっさんが何か尋ねてきた。オレにわかるわけないやんけ原文ママ „Ich verstehe nicht Deutsch“[*1]と言うと、向こうへ行った。
*1:「私はドイツ語はわかりません」の意。ドイツ語圏を旅するときの必須フレーズ。
 1時すぎから4時間ばかり歩いて、市の中心部はおおかた廻った。わりと小さい町で、こぢんまりしている。
 そのわりに、かなりの都会である。CDも売っていた[*2]。市電も頻繁に走っている。とにかく丸屋根の教会が珍しく映って、良い。
 ここにはウィーンにあったような地下の横断道がない。
*2:当時はCDとレコードが併存しており、田舎ではCDがまだ少なかった。
 いったん駅に戻って荷物をもらう。12シリング。
 雨のなか、ザックを背負って着いたユースは非常にきれいである。1泊100シリング(朝メシ込み)。部屋に入ってびっくり。一昨晩、ウィーンで一緒だった東外大の人がすでに来ていた。
 シャワーを浴びて夕飯を食いに行った。そこは定食はなく、サラミ何たらというのを指さすと、出てきたのは何とサラミの薄切りがざっと30〜40枚……。これには参った。サラミばっかり30枚も40枚も食えるか ユースにもどってコーラで口直し。
出費晩メシ S 63(サラミ 53、コーラ 10)
アイコン今日のシリング残:346.50
 洗濯をしようと洗面所に入っていくと、すでに一人の男が洗濯をしていた。カナダの兄ちゃんで、スリランカでボランティアをしているという。じつは父親で、4人の子どもがいる。アエロフロートロシアの航空会社の話から競争の話になり、話題はスポーツの是非に及ぶ。国家がバックアップするスポーツは愛国心をあおり、敵を倒すことだけを目的にする——と。
 彼はクリスチャンだが、教会には行かない。神は食堂にも通りにもトイレにもいらっしゃる。信仰とはまったく個人的なものである。
 ——なるほど。それでも「宗教」と呼べるのだと教えられた。これまでぼくは宗教とは組織的なものだと無意識のうちに決めつけていたが、それは違った。そのことをあの兄ちゃんが教えてくれた。
 そのあと東外大の人も一緒になって三人で喋った。いろいろ勉強になった。
310日( 4日め/グラーツ
 おっさんのイビキにも負けず、4時までは熟睡した。そのあとは、あまり……。しかし、昨日、一昨日とよく寝たので十分。深く眠れたし。
 東外大の人と朝メシを食って、ぼくは8時半に出発。ÖKISTA[*3]の場所はすぐにわかった。そのあとグラーツの大学へ。かなりきれいな建物である。ただ、雰囲気は日本の大学とさして変わらず、なじみ深い。帰りに(駅に行く途中で)パン屋などで少し買い物。
*3, ÖKISTA:学生の国際交流を支援する組織。ここでは、ÖKISTAの旅行部門のことと思われる。
出費
・絵はがき S 4/切手 S 6
・オレンジ2個 S2/パン2個 S 3.80/ビスケット S 15
・荷物預り S 12
・チケット:グラーツ→ザグレブ S 150
 これからグラーツを出発し、いよいよ旧ユーゴのザグレブ(現在はクロアチアの首都)に向かう列車に乗り込みます。
 グラーツを出ると雪の原。
 12:30国境の駅で検官が乗り込んできてパスポートの検査。乗り込んできたばあさん4人はバナナなどを買い込んでいる。今のところ、ぼくの荷物は検査されない。彼女たちの言葉の響きは完全にロシア語だ[*4]。顔つきもドイツ人とはやや異なるような気がする。
*4 :ドイツ語などのゲルマン系の音とは全然違い、スラブ系の響きだということ。ロシア語がわかるわけではない……。
会計
アイコンシリングの余り:151.70
 1時ごろ、ユーゴ入国。荷物検査はなくパスポート・チェックのみ。
〈ユーゴスラビア〉
 さすがに入国の前後は緊張した。何か敵国に入っていくような気さえした。
 ばあさんらは喋ったり眠ったり。あるとき隣のばあさんが何か話しかけてきた。一応、I don't understand your words.と英語で答えると、向かいの兄ちゃんがばあさんの言葉を英語に訳してくれた。「どうせわからんだろう」と思っていたのでびっくりしたと同時に、英語で答えてよかったと思う。
 兄ちゃんはその後、雑誌を読んでいたが、それを終えるとSONYのウォークマンをおもむろに取り出し、ジャズかフュージョンのような音楽を聞き始めた。
 日本って、こんな国にも影響を与えているのだ。
 風景は相変わらず雪と山と木々と家ばかりで単調である。雪はグラーツより一段と深いようだ。いったいこれから向かうザグレブってどんな町なのだろうか。本当に都会なのだろうか。ユーゴに入って家屋がいくぶん質素になった気がする。通り過ぎる町も荒涼としたものばかりだ。ザグレブがリッチな町として急に出現する可能性は少ない。
 4時が近づいてきた。向かいの兄ちゃんが身支度を始める。ばあさんらに「ザブレブ?」と尋ねると、そうだと言う。そのあと初めて兄ちゃんと直接喋る。
2版/2010.5.23
写真の追加/2011.10.8
地図の追加/2015.8.08
章立ての変更/2015.8.09