ウラジオストク自由旅
2010.10.03sun.
〈後 編〉
ウラジオストク1日フリーの後半です。
13時ごろ
✢ 凱旋門の脇に教会がある。聖アンデレ教会だ。アンデレは十二使徒のひとりで、ロシアではアンドレイと呼ばれる。そのため、聖アンドレイ教会と書かれることが多い。
✢ 真新しい小さい教会で、礼拝部分は畳三畳ほどしかない。壁のあちこちにイコン(聖人画)が掛かっている。中の空気にしばらく浸ってから外に出る。出がけに、管理人のおばさんに柔らかく話しかけられたが、残念ながらさっぱりわからない。何を言われたのか気になる。
✢ 湾沿いの道をさらに歩くと、巨大な高架の建設現場に行き当たる。景観などお構いなしに、強引に工事を進めているように見える。いったい何の目的で何をつくっているのか。真下まで行ってみると、高架はすぐ先で途切れている。まるでスキーのジャンプ台だ。
※2012年8月、APECの新聞記事で完成後の写真を見ました。見事に対岸とつながっています。2012年9月現在、「ルースキー橋」と呼ぶようです。
✢ 高架をくぐった先を、湾とは逆の方向に少し登ると、別の正教会がある。日曜日だからか、人の出入りがある。
✢ 中には大勢の人がいた。7〜8家族くらいか。それぞれ赤ん坊を抱いていて、何かの儀式をやっていた。司祭が赤ん坊の髪の毛を数本つまみ、その毛先をはさみで切り取る。たまに親らしき若い男女にも同じ行いをしている。これはその場で本人が申し出て行われるようだ。
✢ 雰囲気はお宮参りのような感じで、厳粛な中に浮かれた高揚感があり、うれしそうに記念写真を撮る親もいる。異教徒が教会でカメラを取り出すのはふつうは躊躇されるけど、ぼくもこの場の空気に同化して、そっと写真を撮ってみる。
※帰国後、この教会の名前を調べると、生神女就寝(しょうしんじょ・しゅうしん)教会というようだ。それって、「聖母被昇天教会」のことじゃないかと思ったら、「聖母被昇天」はカトリックの教義で、正教会では生神女就寝という訳語を使うと、ウィキペディア(下記リンク)に出ていた。宗派(?)によって訳語が全然違うというのが何とも。
※赤ん坊の髪の毛を切る儀式は洗礼と関係あるに違いないと思い、調べてみると、「ぱんだね ―東方正教研究会―」というサイトに、「新しく洗礼を受けた人の頭髪を切ります」という記述があった(下記リンク)。
✢ 正教会を出たあと、丘を登る方向に歩く。鷲の巣展望台まで登れば町が一望できるというが、上り坂に疲れてきたし、なによりしょぼい設備のような予感がしたので、坂の途中で引き返す。
✢ 湾の方角を振り返ると、金角湾をはさんだ対岸にも同じような高架がつくられていた。先ほど見た、こちら側の高架とつながって橋になるようだ。それにしても、巨大な支柱だ。
※金角湾の対岸のさらに向こうには東ボスポラス海峡があり、海峡の向こうにルースキー島がある。両岸の主塔の間隔は1,104メートルもあるという。
* * *
14:50
✢ 丘の中腹から適当に歩いて中央広場に戻る。PRESTOというカフェでしばし休憩。アメリカンコーヒーは味がしっかりしていて、なかなかうまい。ほうれん草とチキンのパイのような食べ物を昼メシとして食べる。中身はクリームシチューを濃縮したような感じだ。
✢ 値段はコーヒーが70ルーブル、おかずのパイが110ルーブル、合わせて180ルーブル。日本円で約540円。こぎれいなカフェだと、やはりそれなりの値段がする。
✢ カフェを出て、小雨の中を金角湾を背にして歩く。ここはちょうど細長い半島になっていて、東に金角湾、西にスポーツ湾がある。
✢ 湾に沿って遊歩道が延びている。
✢ そこはまさしく、ぼくが極東に来るきっかけとなる場所だった。「家族に乾杯」という番組の海外ロケで、鶴瓶がここで地元家族に声を掛けていた。そのときは具体的にどこにあるかなど知る由もなく、ただウラジオストクという町も面白そうだと感じただけだった。図らずも今その場所に来て、あのときのロケ地がここだったと知り、気持ちがすっきりした。
✢ スタジアムの前まで戻り、大通りを北上してみる。雨は一向にやまないので、散策という流れではない。どうしたものかと考えるうち、駅の待合室を思い出した。あそこでしばらく休みながら時間をつぶせばいい。
* * *
16:30
✢ ウラジオストク駅の広大な待合室に来る。日記を書いたり、持って来た文庫を読んだりして過ごす。
18時前
✢ 降り続く雨が夕方になって冷たくなった。このあと19時半にホテルのロビーで運転手と落ち合い、駅までの送迎を受け、20:30発の夜行列車でハバロフスクに移動することになっている。ぼくはすでにその駅にいるわけだが、荷物をホテルに残していることもあり、所定の旅程に従うことにする。
✢ 駅の待合室も次第に冷えてきたので、そろそろ宿に戻ろう。
✢ ルーブルの消費が思ったより早いので、宿に向かう前に駅向かいのATM(バンコマート)で500ルーブルを追加で引き出す。宿、夜行列車、送迎の費用はすでに払っているので、現地で支払うのは食事や市内観光程度だが、物価は思ったほど安くない。
18時半
✢ すでに歩き疲れていたので、晩メシは宿の横にあるPizza Mに来た。Pizza Mはカフェレストランのような店で、日本の洋食屋に近いかもしれない。パスタの写真がうまそうだったので、サーモンのフェットチーネとビールを頼む。
✢ フェットチーネは意外と腹に沈む。これなら明日の朝まで腹がもちそうだ。合計620ルーブル。たかだかパスタとビールで1,500円を超えてしまった。
✢ いったん駅側に戻り、24時間オープンのスーパーで水と黒パンを確保する。水は種類が多くて迷ったけど、19ルーブルのガスなしにする。黒パンと合わせて48ルーブル。150円弱。わりとふつうの値段だ。
19:20
✢ ホテルのロビーに到着。旅行会社の人を待つ。
* * *
19時半
✢ てっきり運転手が迎えに来るものと思ったら、きれいな女性ガイドがやってきた。案内された車に乗り込み、運転手の運転で駅に行く。歩いても5分程度の距離なので、車だとあっという間に着く。
✢ 始発駅なので列車はすでに入線していたが、乗り込む15号車はまだ灯りがついておらず、ドアの前で待つ。辺りはすでに暗くなっているが、こうして待つ時間があれば写真を撮りにうろうろしたい。しかし、ガイドを置いていくわけにもいかない。それにもうソ連ではないといっても、ここは軍港ウラジオストクの駅構内である。ややこしいことはしないほうがよさそうだ。
19:50
✢
15号車のドア口で車掌が検札を始めたので乗り込む。ガイド女史はコンパートメントまでぼくを案内したあと、トイレと車掌室の場所を教えてくれる。彼女の日本語はかなり正しいのだろうけど、音がロシア風にこもっていて聞き取りづらい。寒い地方はどうしても口の開きが小さくなるのか、母音が不明瞭だった。
20:20
✢ 発車まであと10分。日記を書きながらふと見ると、先ほど乗ってきたカップルが1人分のベッドを用意している。どちらか1人は見送りのようだ。このときひとつ発見があった。男がベッドの底を開けて中から枕を取り出していた。そうか、枕が見当たらないと思ったらベッドの下に入っていたのだ。
✢ 今日は歩き疲れたので、少し日記を書いて、さっさと寝ることにする。
〔完〕