遙かにバルカン
ウィーン〜イスタンブールの旅日記
〈復刻版〉
20数年前の学生一人旅
ドナウの国へ
198某年 319日( 13日め
 行きがかりで訪れたイスタンブールで2泊したあと、再び旧ユーゴの首都ベオグラードに戻ります。トルコを出てブルガリアを横断し、ブルガリアの国境が目前です。
 
ウィキペディアにあった周辺地図を貼っておきます。

地図を表示

 午前8時半、うつらうつらしていたら停車。国境。やった、ブルガリア脱出!
 9時半すぎ、ユーゴに入る。入口の休憩所でしばらく※なぜかここで日記が途切れている……
〈ユーゴスラビア〉
 ドルのトラベラーズチェックを替えるのももったいないと思い、余っていたドラクマ[*1]を替える。なぜか千ドラクマ札はダメだと言われた。
 トイレ代の支払いはディナールのみと言われて死んでいたおっさんに両替してやる。
*1, ドラクマ:ギリシャの通貨。
アイコン 両替
700ドラクマ → Din 1,500(Din=ディナール)
Din 10 → 50ペニヒ(=0.5マルク)
出費トイレ Din 10
 バスは拠点を連ねて走ると思いきや、ミュンヘンまではノン・ストップらしく、危うくベオグラードを通り過ぎるところであった。親切なフランスの兄ちゃんが「ここだ」と教えてくれたので、運転手に止めてもらった。

 降りたのはいいものの、一体、自分がどこにいるのかわからない。幸い、CENTERという標識があったのでそれに従う。しかし、どれくらい遠いのか見当がつかず。地図とにらめっこしていると通りがかったおじさんがどうかしたのかと聞いてくれる。駅はどこですかと聞くと、そこの角を曲がって、次の角を右にまっすぐだと。
 教わったとおりに歩く。通りの名を見てみる「サライェボ何たら」だ。聞いたことがある。はたして地図を開いてみると、駅はすぐ近くであった。3時10分、駅に到着。

 イスタンブールからのバスの便は絶対いい。
 夕方6時に出て、ときどき休憩しながら翌日の午後3時前にはベオグラード入りしたのだから。列車だったら定刻に着いても24時間まるまるかかる。乗り心地も悪くない。むしろ狭いコンパートメントに閉じ込められるよりも、はるかにいい。それにイラン人のフランス人(?)は非常に親切で、オレンジやら豆やらをくれたし。
 
ベオグラード
ベオグラード:当時の旧ユーゴスラビア連邦の首都であると同時に、その構成国であるセルビア社会主義共和国の首都。現在はセルビア共和国の首都。

バルカン移動図(Googleマップを加工)
 まず郵便局で切手5通分。駅で荷物を預け、街なかの i観光案内所をめざす。この辺はわりと覚えていたので容易に見つかる。そこで、IUSカード[*2]を発行してくれるオフィスの場所を教えてもらう。……が、いまひとつ地理をのみ込めていず、大通りが見つからない。まあ、それでも適当に歩いていると、マルクス・エンゲルス広場[*3]に出た。ここまで来れば着いたも同然。5分ほどで到着。カードはすぐに作ってくれた。
*2, IUSカード:国際学生証。学割を受けるときに使う。IUSはたぶんInternational Union of Studentsの略。
*3, マルクス・エンゲルス広場:現在のニコラ・パシッチ広場。ベオグラードの中心部にある。
アイコン 両替 ös 100 → Din 1,993
出費
・切手(5通分) Din 450
・飲み物など Din 268
・ホットドッグ Din 120 ・ハンバーガー Din 190
・IUSカード Din 800
 (1ディナール=約0.6円)
 それにしてもIUSカードの発行料が800ディナールもしたのには参った……。
 国際線のチケット売り場を教えてもらって駅までもどる。ホテル・アステリアの少し北。チケットはすぐに作ってくれる。これでディナールはほとんど使ってしまった。
出費チケット:ベオグラード → ブダペスト Din 2,666
 ベオグラードに着いたばかりですが、旧ユーゴはこれで終わりにし、今夜の夜行でハンガリーの首都ブダペストに向かいます。
 2本目のジュースを飲んで一息ついたところで、待合室に入って絵ハガキを書く。多くの人に書いたような気がしたが、大して書いていない。
 隣のおじさんは俺にとても興味を示す絵ハガキの住所にJAPANと書くと、日本人か?と訊いてニコリとする。まあ、気持ち悪いといえば言えなくもない。
 さあ、今晩はまた9時半の夜行で、明日はいよいよブダペスト。しかし、また夜中に国境を越えると思うと、うっとおしい。[*4]
*4:夜中の国境越えがうっとおしい、というのは、眠いなか出入国手続きをしないといけないことを指す。
 今さっき気がついたのだが、ぼくの時計はトルコの時間のままだった。すなわち、待ち時間が1時間増えた……。
 北のほうまでゆっくり往復して1時間半ほどを過ごす。チョコレート2本の120ディナールで、ディナールを使い切る。と、ところが、荷物預けの代金を忘れていたので、ポケットから100ドラクマ(ギリシャの通貨)を探し出して替える。
アイコン 両替 Dr 100 → Din 213
出費荷物預け Din 60
アイコンディナール残 Din 298
320日( 14日め
 旧ユーゴの首都ベオグラードから夜行に乗ってブダペストに到着しました。
〈ハンガリー〉
ブダペスト
ウィキペディア
 定刻にブダペスト着。同じコンパートメントの日本人と一緒に降りる。待合室でうだうだしていると、彼が両替をしてきてくれ、ロッカー分のコインをくれた。
アイコン 両替
$20 → Ft 890
(Ft:フォリント、1フォリント=約4円)
出費
・1ドルのキャッシュでパンとコーヒー
 (25フォリントの釣り)
・トイレ Ft 2
 さて、両替をしたのでサテンでも入ろうかと思うが、探すとなかなか見つからない。それでも一軒みつけて入る。チーズケーキのようなものは、うまかった。
出費コーラ Ft 8+ケーキ Ft 12.50
 やってきました、ドナウ川。橋を渡り、川に沿って上流へ。国会議事堂の正面で写真(ミーハーか?)。そこから丘に登り、「漁夫の砦」[ウィキペディア]。 どうしてこれが漁夫の砦なんだろう。
 小雨で対岸がかすんでいるのが非常に惜しい。まあ、とにかく、見たい風景を見ることができた。
 王宮へ行ったときはまだよかったが、降りた頃から雨が本降りになった。寒くなるし傘はささねばならんし町はモヤるし、天候は最悪。そのくせ、人民共和国通りは人だけは多い。かなり腹が減ってきたので、手頃なレストランに入る。
11:15何か高そうなものを頼まされてしまったと思ったが、そんなことはなく、非常に良心的な料理が出てきた。ほとんど満腹。2日間、バスと夜行で大したものを食っていなかったので、このときとばかりにチョコレート・プディングを注文する。
 このように満腹になったのは。旅行に来てこのかた初めてだ。たまにはよろしい。
出費昼メシ Ft 185(メイン Ft 125+ビールとプリン 各Ft 30)

ドナウ川と国会議事堂(写真は2014年撮影)
 このあと、Expressという公営の旅行社でプライベートルームを斡旋してもらい、その足で宿に行きました。
 ここの宿のおばさんはマジャール語しかわからず、会話が成立せず……。5時をしきりに指さすので、5時にまた来ることにして、ひとまず退去。
 それでは、トイレを済ませて帰りの飛行機のリコンファームだ。国際電話は郵便局でできると駅のIBUSZ国営旅行社で教わる。しかし郵便局の窓口のおっさんは不親切で、何の説明もない。たまたま近くにいた兄ちゃんがぼくのボックスまで来て、ダイヤルしてくれる。「00」のあとに国番号の43を回せばいいだけなのだが、それすらもわからなかったので、大いに助かった。リコンファームは無事に完了。Ft 4。この電話料金の安さにも参った。[*5]
*5, リコンファーム:当時は帰国便の出発72時間前までに予約の再確認が必要だった。そのため、利用航空会社のウィーン支店に電話して再確認を行った。
 駅にもどってロッカーに入れた物を取り出した直後、朝の日本人が現れる。ロッカー代(Ft 4)を返す。
 宿のおばさんは別に陰険ではないが、言葉はまったくわからんし、愛想もよくなく、事務的である。ところで、考えてみると、シングルに泊まるのは初めてだ。しかも、こんな広い部屋に一人。五人くらいで使いたいところ。一人じゃもったいない。貧乏性だ。
 さて、夕方はずいぶん時間があるので絵はがきでも書きたいところだが、ブダペストでは絵はがきをとんと見ない。売っていないのだろうか。そんなことは、あるまい。
 今日はどっと疲れが出そう。イスタンブールのあと夜行が連チャンだから。
 晩メシのために外に出たものの、食べる所がなかなか見つからない。10分か15分歩いてやっと大通り沿いにレストランを見つけた。
 はー。食った食った。昼も夜も満腹まで食った移動がなくゆっくりできる晩はよいですなあ。長い旅行中、メシに10ドルも使ったのは初めてではないか。
出費
晩メシ Ft 201、クッキー Ft 20(明日の常備食)
アイコンフォリント残:Ft 219.50
321日( 15日め
 昨晩は10時就寝。連チャンで夜行に乗ったあとだし、広い部屋に一人なので熟睡。朝は8時少し前に目が醒め、同5分起床。
 洗顔などの後、8時25分に退出。まず、ミュンヘンまでのチケットをExpress公営旅行社に買いに行く。Expressのオフィスではチケットは売っていなかった。かわりに、近くにある別のオフィスに行けと。教わったとおりに行くとほんとうにすぐであった。ただ、そこでは両替を扱っていなかったので、Expressにもどって40ドルを替える。
アイコン 両替 $40 → Ft 1779
出費チケット:ブダペスト → ミュンヘン Ft 1498
 さて、9時を過ぎた。Keleti puブダペスト東駅までは遠いので、歩いていては間に合うはずがない。国会議事堂まで行くと地下鉄があった。売り場で「Keleti Station」と告げる。Ft 2。
 駅のホームに降りていくと来た電車はちょうど東駅に行くではないか列車の発車まであと10分少し。東駅までは5分くらいだった。地上に上がって2分前。東駅の駅舎に入ると、乗る列車はすぐにわかった。まだ停まっている——と思った瞬間、ガタリと動き出した。慌てて一番近いドアを開けて飛び乗る。[*6]
 車内検札のあと、食堂車。
*6, ドアを開ける:当時、長距離列車の多くはドアは手動開閉式だった。
出費食事 Ft 116
(チーズサンド 36、コーラとオレンジジュース 62、パンケーキ 18)
 国境まではほとんどが大平原。半分くらいが緑の草原、半分くらいは耕されていて土色。木々はまだ葉を落としたまま。
 ハンガリーの電車の運行はきっちりしている。ほぼ定刻にオーストリアに入った。

 この列車はウィーンから指定席になる。ウィーンで1時間半停まるので、その間に指定券を買いに行くか。

〈オーストリア〉
ウィーン

帰路移動図(Googleマップを加工)
 駅で指定席の予約をしに行ったが指定券はいらないと言う。
 カフェレストランで少し腹ごしらえ西側の国はさすがに高い。
アイコン 両替
Ft 200 → öS 43(öS:オーストリア・シリング)
出費
紙パックの紅茶×2 öS 18
スパゲッティ öS 50
コーラ(200 ml)öS 18
 オーストリアのシリングもこれでほぼ使い切った。
アイコンシリング残:5
 私の旅はこのあとウィーン→ミュンヘン→ローマと続きますが、旧東欧の旅はこれで終わりです。最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
2版/2010.5.23
地図と写真の追加/2015.8.09