イスタンブールの安宿街《スルタンアフメット》から歩いて10分前後。その店は、中級ホテルの並びにある。店の両側に大きな提灯が出ているので、すぐにそれと判明する。日本人の来客が多いのか、日本語のメニューが用意され、日本語を話す若い男がいる。
店のご主人は中国東北地方の出身という。どうりできれいな北京語を操るはずだ。奥で調理する女性は奥さんだろうか。母親らしき婆さんが、ご主人の赤ん坊を乳母車に乗せて、表の通りを時おりゆっくり行き来している。
トルコは総じてメシがうまい。ロカンタという食堂に行けば、作り置きのおかずが並んでいるので注文に迷うこともない。それに、イスタンブールは物価が高いといっても、3、4ドル程度で食べることができる。
とはいえ、毎日ロカンタではいかにも味気ない。せっかく花のイスタンブールに来ているのだ。うまい中華を食べる楽しみがあってもいい。
興龍中国酒楼は中級ホテルの並びにあるものの、高級店ではない。むしろ庶民的な店である。量も多いので、一人で行くならおかず一品とご飯、飲み物を頼めば十分豪勢な食事になる。ビールを飲んでも 4、5ドルで済む。
客の顔ぶれがまた多様である。今回は米国でのテロ事件の影響か、日本人パッカーの姿はほとんど見なかった。その代わり、トルコ人や中国人、それにアフリカ系らしき客が来ていた。
あるとき、この店で晩メシを食べた帰りに宿の近くをぶらぶら歩いていると、ご主人と乳母車を押す婆さんにばったり出会った。まさか自分の宿の近くで会うとは思わなかった。散歩というより帰宅という風情であった。
「この近くにお住まいなんですか?」
私はあたりさわりない質問を投げてみた。
「このすぐ南側なんですよ。どこに泊まってるんですか?」
「あそこです」
私は自分の宿を指さしたが、そのあたりは安宿がいくつも並んでいる。
「コニヤ?」
コニヤは日本人が多い安宿だが、私が泊まっているのはそこではなかった。
「いいえ、ハネダンです」
ご主人は「ふうん」という面もちで顔を道にもどした。べつに立ち話というほどではない。路上で軽く挨拶を交わしたという程度である。それでも旧知に会ったような心やすさを私は感じた。
「再見!」
「再見!」
婆さんがゆっくり乳母車を押す。ご主人も歩調を合わせてのんびり歩く。イスタンブールの片隅で静かに暮らす中国人家族。そして一人の日本人パッカー。トルコはやはり、極東から遠い国なのだと改めて思った。
興龍中国酒楼への略図
ギュルハネ駅を過ぎた三叉路を曲がり、Hotel Yasmak Sultanの角を右折して、さらにそのホテルとHotel Romanceの間の道を70 mほど入ったところ。2つの提灯が目印。
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