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インタビュー in プノンペン
義足技術者:藤井一幸さん
 プノンペンで義肢を作っている英国系NGO「カンボジア・トラスト」では、日本のNGOを通して、日本人義足技術者(正しくは、義肢装具士というらしい)が3人働いている。そのうち主任格である藤井一幸さん(27)に、お話をおうかがいした。(1996年12月)

……まず、藤井さんと義足とのかかわりを教えてください。
 もともと私は、義足とは縁がなかったんです。地元の高校を出たものの、大学で勉強する気もなかったし、1年くらいアルバイトをしていました。ただ、そのままバイト生活を続けるのもどうか、とは思っていたんです。そんなときに、「学校」ができるという広告を見たのです。

……地元に、ですか?
 ええ、地元の熊本に、です。その学校にはコースが2つあって、1つは医療機器を扱うコースで、もう1つが義足のコースでした。義足のコースを選んだのは、医療機器のほうがどうも難しそうでイヤだったからです(笑)。それが義足に出会うきっかけになりました。

……けっこう偶然なんですね。
 かなり偶然です(笑)。

……そこでは何年学ばれたのですか?
 3年です。

……卒業後は?
 所沢に、やはり義足関係を教えている国立の学校があるんです。リハビリセンターが付属していて、日本の中では中心的な施設なんですが、そこで1年間、研修生として雇ってもらいました。まあ、先生の雑用係みたいなもんですが。

……カンボジアとの出会いは、そのころにあったのですか?
 そうですね。カンボジアで義足を作る1週間のツアーというのがあって、それに参加したのが最初です。カンボジアに行って、8人で50本を作りました。

……いかがでしたか?
 はじめての体験で、おもしろかったですよ。

……それでカンボジアが気に入って?
 ええ。でも、カンボジア行きは私から志願したわけではないんです。そのツアーの受け入れ先にはそれまで日本人がいなかったんですが、そのボスがたまたま、「日本人もたまには入れてみるか」と考えたんです。私は以前から海外で働きたかったので、打診があったときは即OKしました。

義足の製作

……いきなりカンボジアに来て苦労が多かったのでは?
 苦労という点では、言葉の問題が一番大きかったですね。クメール語はもちろんさっぱりわかりませんし、英語も片言しかしゃべれませんでした。現地スタッフに意見を聞かれたり、イギリス人をまじえてミーティングをしたりするときに、言いたいことが言えない。アドバイスや意見を伝えたいのに、なんて言っていいかわからない。こういう場では、とにかく自分の意見をきっちり表現しないと、なにも考えてない無能なやつだと思われます。実際、はじめのころは、あまり相手にされませんでした。

……それは不本意だったでしょうね。
 ええ、とても悔しい思いをしました。私は最初、2年間の契約で来たんですけど、2年ではそういう状況から満足に抜け出すことができませんでした。私が2年経って契約を更新したのも、言葉の問題をなんとかクリアして、思うように働きたいという部分があったからだと思います。

……カンボジアでの仕事はいかがですか?
 ここでは徒弟制度もなく、むしろ義足をどんどん作らねばならないので、若い人にはいい環境があると思います。日本だとシステムが出来上がっていて、若い人がこれだけ義足を作るようなことはないですよ。

……ご自身でも義足を作られるのですか?
 ええ、作ります。1日平均2本くらい作りますね。忙しいときだと、1日で5、6本作るときもあります。

……これまで何本くらい作られたのですか?
 べつに数えたわけではないんですが、今言ったペースで考えると、3年で2,000本くらいにはなると思います。

……ところで、患者さんの表情は、意外と明るいですね。
 メンタリティの違いというのか、カンボジアの人は手足をなくしても、比較的さばさばしているというか、絶望する、といったようなことはないように感じます。

リハビリ

……患者さんの来る数というのは、(93年の選挙後も)変わらないのですか?
 地雷の犠牲者はカンボジア全土に3万5000人いると言われています。それに対して、この「カンボジア・トラスト」で作るのは、月にせいぜい200本弱です。義足を作るNGOは他にもありますが、患者さんの来るペースは変わっていません。義足はまだまだ足りないのです。義足を作る専門家も、もっと必要です。

……藤井さんは、これからもここで働かれる予定ですか?
 契約があと2年ありますので、少なくともそれまではこの仕事を続けます。

……今日はお忙しいところ、ありがとうございました。これからもご活躍ください。
 こちらこそ、ありがとうございました。

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[初出:『恋するアジア』第7号(1997年3月)]