そこは地の果てアルメニア
国際バスの国境越え
〜 イランからアルメニアへ 〜
1998年9月
〈 後 編 〉
▼7 レーガン似
およそ150メートルほどの鉄橋を渡った対岸に、警備の兵士が数人立っていた。肩から銃をぶら下げている。無言で通り過ぎたものかどうか迷っていると、一番前にいた兵士が、
「イポーニア?」
と問いかけてきた。
──ああ、ロシア文化圏に来た。
150メートルほどの鉄橋を渡っただけで、とても高い段差を踏み越えたように思った。イポーニアは、ロシア語で日本という意味である。
アルメニア共和国は1991年9月に独立を達成するまで、旧ソ連に属する一つの共和国だった。独立してすでに7年になるが、7年という歳月は、社会を変えていくにはおそらく短すぎるだろう。とくにこの国境は、アルメニアとイランの国境であると同時に、イスラム文化圏とロシア文化圏がぶつかる場所でもある。ロシア文化がひょっこり顔を出してもなんら不思議はない。
私がロシア語で「ダー(はい)」と答えると、兵士は「あっちだ」と、左手にある小さな建物を示した。
──右側の建物ではないのか。
右手のゆるい坂の向こうに、アルメニア国旗をはたはたとなびかせた、石造りの大振りな建物がでんと立っている。兵士はそちら側ではなく、左側のみすぼらしい木の家を指したのだった。
「あれ? 右側じゃないの?」
「そうですよね。なに、あの汚い建物は?」
日本語で交わされる会話には遠慮がない。旅行者は日々感じる不満を、こうして言葉にすることで体外に吐き出すクセがついているのかもしれない。
橋のつい左下に、廃線になった駅の待合い室のような、朽ちかけた木造平屋建てがあった。家というより、守衛室といった広さである。近づいてちゃちな木の扉をあけると、その先は人が一人通れる幅の、奥行きもたかだか3メートルといった廊下があるだけで、左側は建物の壁、右側はまさに守衛室といった部屋になっている。その部屋に、検官が一人詰めていた。
私は窓口の隙間からパスポートを差し出す。
検官はぱらぱらとページを繰り、アルメニアのビザを認めると、そのうえにバンッとスタンプを押してよこした。制服の腕章にはCCCP、英語でいえばUSSRの文字がある。旧ソ連の亡霊か。かつては旧ソ連の国境として、橋のたもとで南に睨(にら)みをきかせていたのだろうが、いまや朽ちかけた木造の守衛室がわずかに一室、夏になれば雷雨が吹き込みもしよう、冬になればすきま風も吹こう、そんな場所をいまはロシアが引き継いだのか、そのあたりの事情はわからないものの、われわれ三人は多少気の毒な気持ちをかかえながら、ふたたび初秋の太陽の下に立ちもどった。
気温はさほど高くもないが、日差しが強かった。
ゆるやかな坂道を、バックパックを背に、今度は右の建物に向けて一歩一歩近づいていく。バス客のほとんどはまだイラン側の荷物検査を受けているとみえ、最初に国境を越えたわれわれ三人のあとは、家族連れの数人が続くばかりで、橋を振り返っても後続の来る気配がない。
建物は、近づいてみると人の背丈の十倍ほどの高さがある。入った所がまたがらんとしたホールで、有事に備えたのか、あるいはたんなる見栄なのか、みごとに何もない奥行き10メートルの、高さも10メートルほどがあろうかという、巨大な吹き抜けのホールである。
ホールを抜けると、廊下の左側にいくつかの窓口があった。
そのうち実際に開いている窓口は二つである。手前がパスポートコントロール(入国審査)で、向こうが税関のようだった。税関の窓口の前には税関申告書の用紙が箱に入れて置かれている。
幸い英語が並記されていた。日本人三人が申告書に記入していると、税関の検査官が廊下の向こうからやってくる。
女性である。背は私よりも高そうだった。年は30歳前後だろうか、細い金髪をさらさらと両肩に流し、藤色のミニスカートから伸びる脚は異様に長い。ヒールがかつかつと床を蹴ってやってくる。色白のやや平板な顔に鼻がすらりと高くはまり、目には茶目っ気を帯びた愛らしい光があった。知性的な薄い唇が、細い顎のうえできっと結ばれている。
──まさに才色兼備。
と気を取られている間に、女性検官は税関の部屋に入って机に向かった。
イラン側の検査を終えた乗客が、一人二人とやってくる。その人たちに混じり、われわれも申告書とパスポートを提出した。
はじめに左側の窓口に行く。
アメリカのレーガン元大統領を小柄にしたような鷲鼻の四十男が、苦い顔をしてガラスの向こうに座っていた。笑いのない、冷徹な目だ。
「アルメニアに行く目的は?」
「観光です」
「どういう目的だ」
「だから観光です。グルジアに抜けて、トルコに行きます」
「トルコに行くならイランから直接行けばいいのではないか」
「アルメニアを見たいのです」
──どうも勝手が違う。
予想しない厳しさであった。ほとんどケンカを売る勢いである。
在テヘランのアルメニア大使館では、ビザの申請に行くと職員があれこれ親切に教えてくれたものだった。その様子から、アルメニアはてっきり旅行者を歓迎しているものとばかり思っていた。ところが目の前のリトル・レーガンは、歓迎どころか、まるで来るなと言わんばかりの口調である。いったい日本にやってくるアジア人たちも、成田でこういう扱いを受けるのだろうか。
質問は矢継ぎ早に続く。
「エレバンの宿は」
「ホテルです」
「どのホテルだ」
「ホテルの名前ですか?」
「そうだ。自分が泊まるホテルも知らんのか」
まだ国境なのに、先の宿まで知るものか。大使館でビザを申請したときは、宿泊先の欄にただ「ホテル」とだけ書けばよかった。
──在テヘランの大使館とは大違いだ。
私は腹の中で鷲鼻をにらんだ。しかしいまはホテルの名前を答えるのが先決である。私は肩掛けカバンからエレバンの地図のコピーを取りだした。
──ええと、どこだっけか。
地図を広げて調べる。
ああ、あった、これだ。
「ホテル・エレブニです」
鷲鼻はその答えに一応は満足したようだったが、パスポートのビザをしげしげと眺めながら、
「ビザに疑問点がある。待っておれ」
と偉そうに命令を下し、私のパスポートを机上に放置したまま、次の人の作業に移った。
検官がにこやかに入国スタンプを押す場面を期待していた私は、目の前の現実との落差にしばし呆然とするほかなかった。
▼8 厳しい検査
税関がまた面倒であった。
藤色スカートの女性検官は、どちらかといえば役人には珍しく、好奇心の強そうな、やる気のある目をしている。はたして検査はどう展開するか。
藤色スカートの第一問。
「アルメニアに行く目的は」
鷲鼻と同じ質問だった。
「観光です」
そう答えながら、
──アルメニア美人に見つめられるのも悪くはない。
と、最初のうちは心中に多少の余裕を保っていた。
「アルメニアの後は?」
「グルジアとトルコに行きます」
「トルコに行きたいなら、テヘランから飛行機で飛べばいいでしょう」
──ああ、あんたもか。
どうやらこの方も私を歓迎していないようだ。甘い顔のわりに出てくる言葉には棘がある。観光旅行者に対して、テヘランからトルコに飛べばいいでしょう、はないだろう。しかしそこは男の悲しいサガ、正面から厳しく挑んでくるアルメニア美人に悪い感情は起きなかった。ただ、予想以上に手強いことは確かなようだ。
──形勢を立て直さねば。
そう思い返して、私はやや遠回しに相手の出方をうかがう。
「日本のガイドブックによると、日本人はアルメニアに入国できると書かれています」
「ええ、もちろん入国はできます。しかしアルメニアに行って、いったい何をするんです」
──何をするかって?
一瞬、返答に窮した。それが、観光客にむかってする質問だろうか。入国できる──。旅の理由に、それ以上のものが必要だろうか。しかし藤色スカートは、なにか「理由」を欲していた。私はなにか理由を示さねばならなかった。こういう場合は相手国の文化に関するものに限る。
「観光です。……教会を見たいです」
「ははははは」
藤色スカートはなぜか高笑いをした。みえすいたウソと思われたのだろうか。
「アルメニアなんか行かずに、イランからトルコに飛ぶのが便利ではないですか」
──なんど言っても分からないヤツだ。
私も少し熱くなり、声が少し大きくなる。
「私は一歩一歩(ステップ・バイ・ステップ)行きたいのです」
藤色スカートは、かすかに仕方のないヤツだといった表情をみせたあと、つぎに外貨申請の申告額を指さした。理由についてはクリアしたらしい。
「外貨はこれだけですか」
「そうです」
「では、見せてください」
「……」
まさかという思いに、瞬間、言葉が出なかった。
──よくもこう、次から次へと。
ほとんど嫌がらせとしか思えない。かといって、従わないわけにもいかない。むだな抵抗ではあるが、こちらにも多少は驚いてみせるくらいの権利はあろう。
「全部ですか?」
「全部です」
その顔には、本当に全部チェックするのだという気合いがこもっていた。いったい金を見てどうするのか。世の中にはこのような国境が真剣に存在するのだと思うと、自分の体験の乏しさをあらためて思い知らされる。しかし、まだ服を脱げと言われないだけマシかもしれない。ソ連の後遺症はまだまだ後を引いているのだろう。
──ちっ。
私は内心毒づきながら、貴重品袋から残り少なくなった現金とトラベラーズチェックを取り出し、机の上に置いた。横に立っていた助手かひやかしか、あるいはその両方とも思える男が手を伸ばし、藤色スカートといっしょになって現金を数え始めた。
狭い机のうえに、小額紙幣とトラベラーズチェックがずらりと並んだ。枚数は多いが、数える手間のわりに金額は小さい。一通り数え終わると、藤色スカートは念を押した。
「これで全部ですか」
「はい」
とりあえずはそれで気が済んだらしい。あとはカメラのメーカーなどを聞かれたくらいで、用紙の末尾にさらさらっと流麗なサインを描くと、直径5センチほどの大きな青いスタンプを勢いよくバンッと押した。そのしなやかな動きのなかに、ふと垣間みえた自信の大きさと思いきりの良さを思うと、いまはこのような辺境に追われてもいるが、いずれは中央に復帰するべきキャリア組なのかとも想像された。
──やれやれ、なんとか終わった。
入国スタンプがまだ保留されたままではあるが、通関の手続きが終われば入国したも同然。あとは鷲鼻との攻防が待つばかりである。とにかくアルメニアという国をヨイショして、あとはがんばって粘るしかない。
左の窓口に呼ばれた私は、ふたたびリトル・レーガンの前に立つ。
リトル・レーガンはとぼけた表情のまま、いきなり私に向かって、
「ウェルカム・トゥー・アルメーニア!」
と告げ、目の前でアルメニアのビザに入国スタンプを押してみせた。
──なんなんだ、こいつらは。
甘いかと思われた女性検官が執拗に細かいチェックを見せ、仁王のように苦い顔の審査官が「ウェルカム」とやさしげな言葉をかけてくる。とくにリトル・レーガンの態度の変わりように、私の思考はついていけなかった。
ともあれ、一連の入国手続きはこれで完了した。一件落着。あとは二人の日本人の手続きを待つばかりである。
▼9 ビザ・プロブレム
「ビザに問題あり」
二人のパスポートを前に、リトル・レーガンは言い放った。
旧ソ連に属するCIS(独立国家共同体)のあいだには便利な協定がある。どこか一カ国のビザをもっていれば、その周辺国を通過することができる、というものだ[注:この協定はその後、廃止された]。アルメニアの場合、グルジアの観光ビザをもっていれば三日間のトランジットが許された。カフカス(コーカサス)ではグルジアのビザが比較的取りやすいので、とくにイランからカフカスに向かう旅行者は、グルジアの観光ビザでアルメニアに入国する者が多い。
彼らもそのパターンだった。
ところが鷲鼻リトル・レーガンは、厳しい表情を崩しもせず、
「さきほどエレバンの当局に電話で問い合わせたところ、そのビザではダメだと言われた」
と言ったきり、別の人の対応を始めた。ついには下っ端役人が出てきて、ホールで待ってろと窓口の前から追い払われる始末。
リトル・レーガンはなぜエレバンにまで電話を入れる必要があったのか。それが腑に落ちない。いやしくもここは国境である。入国のためのビザの条件くらい知っているはずだ。日本人もこれまで何人かここを通過しているはずである。「先例がない」とは言わせない。
しかし、へたに逆らわないほうがいい。権限は100%敵にある。どのみちイランを出国した以上、いまさらイランへの再入国はできない。第三国に強制退去させるとすれば、首都のエレバンまで行くしかないだろう。首都まで行けば、菊のパスポートをもった健全な旅行者をそう手荒く扱うとも思えない。
一応そこまで考えてみるが、リトル・レーガンの頭のなかが読めない。要するに、
──難癖をつけたいのだ。
というのが、日本人三人の共通した見方であった。
「金だったら一銭もやんないです。スタンプを押してくれるまでここを動かない」
大学生はさすがに若い。体を張って主張する。オトナはなかなかそうはいかない。金で解決できるなら、そのほうが楽だと思ってしまう。社会人のほうは、バスの疲れもあってか口数が少ない。
一方、周囲の女たちはみな、スカーフもロングコートもすっかり脱ぎ捨てていた。
子連れのお母さんなどは、ノースリーブで細い肩をあらわにしている。バスで斜め前に座っていた二十歳くらいの女性も、半袖とパンツルックに変身していた。イランでは、女性は人前では顔と手しか見せてはいけない。髪の毛もすべてスカーフのなかに包み隠さねばならない。誰もがスカーフを脱ぎ捨てて、
──ああ、せいせいした。
と解放されているにちがいない。
固い殻のなかで耐えていた黒いサナギが、五色のチョウになって羽ばたいた風情といえば誇張だろうか。枠の中にぐっと押し込められていた心が、うきうきと色とりどりに匂い立ち、周囲の空気に華やいだ熱を与えていた。
その脇で、日本人三人には精彩がなかった。
待っておれと言われ、しかたなくホールの片隅で日記を書いたり、トイレに行ったりして時間をつぶした。乗客全員がすでにアルメニア側に来ているとみえ、ホールには、バス会社の運転手たちもやってきていた。
やがてそこに、鷲鼻リトル・レーガンがやってくる。
運転手たちになにやら話しかけている。どうもわれわれ日本人の処置が話題になっているようだ。運転手は、それはマズい、うちの大事なお客さんだ、とでも言っているのだろうか。リトル・レーガンがいったん言葉を切ったのを受け、やや抗議めいた言葉を返す。ところが二、三回のやりとりが行われたあと、運転手たちは、
「ハッハッハ」
と陽気な笑い声をあげた。どうも私たちの話題ではなかったようだ。
──客が困っているというのに、いい気なものだ。
味方がいなくなったと分かり、いよいよ三人で検官と向き合わねばならなくなったのを知った。鷲鼻レーガンは、ついとわれわれに向き直る。
──きたな。
いったいどういう言葉が出てくるのか。袖の下か。三人の視線が、鷲鼻レーガンに集中する。
「私が判断するに」
リトル・レーガンはそう言うと、じらすように一呼吸おいて次の言葉を続けた。
「……ビザに問題はないようである」
「……」
きょとんとする三人。
なんなんだ、この変わりようは⁉ やはり初めから問題などなかったのだ。だましたな、このオヤジ! われわれが困惑するのを見て楽しんでいたにちがいない。
しかしその演技は、徹頭徹尾みごとではあった。
私はすでに入国スタンプを押してもらっていた余裕もあり、怒りを通り越し、あっぱれな演技と、からから笑いたい気持ちになった。対して当の二人は、そこまで許すゆとりはないと見え、言葉には出さないものの、苦汁を口に含んだような不景気づらを見せた。
リトル・レーガンは持ち場に戻ると、机の横に置かれたままの二人のパスポートに、それぞれバンッ、バンッと入国スタンプを押して返した。
そのときふと、隣の税関から笛の音が聞こえてきた。
われわれも部屋に招かれる。
客のなかにクラリネット吹きがいたようで、一人の男が、藤色スカートをはじめ、二、三人の役人の前で曲を披露させられていた。男がいかにも迷惑そうにひきつった笑いを見せる傍らで、役人たちは楽しげな風情に浮かれ、あとからやってきたリトル・レーガンも、藤色スカートといっしょに笑っている。
曲が終わると、日本人のうちの学生が「お前も吹けるか」と矛先を向けられた。学生はとんでもないといった表情で、「いえいえ」と手を振る。リトル・レーガンは彼をからかい甲斐があると見たのか、肩をたたきながら、真顔で「ジャパニーズ・マフィア! ヤクザ!」と決めつける。学生はまだ怒りが冷めやらぬといった表情で「ノー、ノー」と取り合わない。
いかにも。手続きさえ終われば長居は無用。
態度はあくまで愛想良く、
「サンキュー・ベリーマッチ!」
と、われわれ三人は笑顔で税関部屋を後にした。
イミグレーションの建物を出ると、しばらくしてバスが国境を越えてこちらの敷地に入ってくる。時刻はすでに午後2時が近かった。イラン側のイミグレーションが開門してから7時間。アルメニア時間はイランより1時間半早いので、現地時間ではもう3時半になっているはずだった。
バスが建物の前でゆっくりと停まる。
いつのまにかリトル・レーガンが学生の後ろに来ていた。
「ジャパニーズ・マフィア! ヤクザ!」
低く渋い声に、いくぶん陽気な色が混ざっている気がした。この男も四十を越えたこの歳になって、このような寂しい国境に暮らすのは不本意にちがいない。遠い日本からアルメニアまでやってきた、若く自由を謳歌する学生が、羨ましくてしかたがないのかもしれない。学生はしかし、いまだ打ち解ける色をみせず、最後まで背中を向け続けた。
かくいう私も、手を振って見せるほどの愛嬌はなく、気持ちはすでに国境を離れゆく目の前のバスにあった。空はいよいよ晴れわたり、風がのったりと吹きすぎていった。