旅行案内所
宿から川沿いの緑陰をゆらゆらと、たどる小道も涼やかに、行き止まりを道なりに右折して、賑やかな通りを北に上がる。道はやがてブルバス川のほとりに出る。橋の先に中心街がある。
橋を渡った先に城砦跡がニキビ面をさらしている。その城砦跡を少し見学したあと、大通りに出たところで方角を間違えた。幸い早めに気づき、通行人に道を教わって事なきを得る。大通りに戻った角は、昨日地図を買った本屋だった。
——ああ、ここに戻ったのか。
旅行案内所はついこの先だ。寄って、空港バスの場所と時間を聞いておくことにする。
案内所では若い女性が番をしていた。私が入ったときには明らかに気持ちが無防備で、まるで日曜の朝に宅配に来られたみたいに、私を見て慌てて接客の態勢に入る。私は素知らぬ顔で無料の地図をもらい、ついでに空港バスについて尋ねてみる。
女性は、ちょっと待ってね、というふうに、ガラス張りの事務室に入ってパソコンに向かう。すぐに出てきたが、残念ながら時刻表のような公開情報はないようで、アルス・ツアーズで聞いてもらえますか、そこが空港バスを運営しています、と告げられる。住所をささっとメモに書いて渡し、場所を地図で教えてくれた。
オフィスの場所は、昨晩、散策したゴスポドスカ(Gospodska)通りだった。ここからほど近い。礼を言ってさっそく向かう。ゴスポドスカ通りは、乱暴にいえば大人が歩く竹下通りといった趣で、道の両側には今どきのショップがずらずらと並ぶが、建物には風格があり、石組みのひとつひとつに歴史の重さが載っている。
なお、この名前は通称で、正式には「ベセリナ・マスレシェ(Veselina Masleše)通り」という。
アルス・ツアーズ
19番地だから左側だと、並ぶショップをのぞきのぞき、それらしい店構えを探してみるが、見つからないまま大聖堂の前に出てしまう。そういえば、旅行案内所の女性は「ホール」がどうとか言っていた。建物の構造に注意しながらもう一度歩くと、ああ、壁に地味な通行口がしれっと開いていて、中をのぞき込むと、中庭のような空間が向こう側に広がっていた。
中庭の奥に〈アルス・ツアーズ〉の看板が見えた。
——ああ、これか。
デスクが3つほどの中規模なオフィスだ。デスクで事務作業をするおばさんに空港バスについて尋ねると、1枚の紙を取り出し、一覧表からひとつの電話番号をメモ用紙に写し取る。ここに電話してみてくださいと言う。実際に車を出しているのはどうやら個人の会社であるらしい。元締めの旅行会社ですら情報がないのだから、ほとんど誰も知らないのかもしれない。
外に出てさっそく携帯で電話してみる。しかし、押し間違えたか、アナウンスにつながるばかり。じつは1か7か判別のむずかしい数字があった。オフィスで確認しておきべきだったと後悔しても遅く、しかたなく旅行会社に戻る。これ、1ですか7ですか、とおばさんに聞くと、先ほどは不在だった別のデスクの男が、オレが聞いてやるよ、という調子でその場で電話を掛けてくれた。
慣れた人に聞いてもらうと話は早い。
旧バスターミナルから17時の発車だという。旧バスターミナルというのは初耳で、はたしてどこかと男の顔をうかがえば、ペン先が地図の一点をぴしりと指す。メインストリートの裏側にもう1本、太い道があり、中心街の裏あたりの位置にある。ここから歩いて10分あまりだろうか。
発車間際に荷物を持ちながらさまよい歩くことになれば厄介なので、いまから下見をしておくことにする。
ゴスポドスカ通り
クラシックな建物が多い
旧バスターミナル
メインストリートから駐車場を抜けて〈ビドブダンスカ通り〉に出る。教わった場所はこの通り沿いにある。「旧」が付くとはいえ、かつてはバスターミナルと呼ばれた場所である。なにかしら建物の痕跡を期待したが、目に入るのは100メートルくらいにわたって点在する市バスのバス停群と、青空駐車場しかない。
休憩なのか、建物の前で雑談する若い男2人に、「旧バスターミナルを探してるんですが」(Ja tražim staru autobusku stanicu.)と聞いてみる。
右側の男が、すぐこの先だよ、というふうに左方向に手を伸ばし、バス停が並ぶ辺りにやんわりと視線を投げる。客観的な確証に欠けるが、状況からみてこのバス停の並びが旧バスターミナルと思ってよさそうだった。
フバーラ(ありがとう)と礼を言うと、まるで成績をほめられた子どものように満足げな笑顔が返ってくる。こちらが聞く相手を選んでいるのもあるが、バニャルカの人はめんどくさそうな態度をつゆ見せず、むしろ前のめりといえるくらいに親切に、見ず知らずの異邦人に教えてくれる。おかげでこちらも気軽に道を尋ねることができるのだった。
同日 夕方
時間がだぶだぶと余ったので、夕方の街をてくてくと、旧バスターミナルと思われる場所に早めにやってきた。市バスはときおりリズミカルにバス停に滑り込んでは乗客を入れ替えて出て行く。空港バスらしき乗り物はまだ見えない。
ここは見れば見るほど普通のバス停である。これが旧バスターミナルであることは状況的に確実なのだが、最後の詰めとして、穏やかそうなバス待ちのおばさんに、ここは旧バスターミナルですか(Ovo je stari autobuska stanica ?)とダメを押す。
そうよ、ここが旧バスターミナルよ、というふうな肯定的な響きの答えが返ってくる。アジア人が珍しいのか、続けて何か話してくるが、ヒアリング力はもう限りなくゼロに近く、わかりませんというほかない。言葉の必要性を全身で痛感する瞬間である。
ふと見ると、先頭のバス停のさらに前にバンが1台停まっている。その脇に、何かを待っている風情で男が立っている。
——あれっぽいな。
ボストンバッグを担いで近づくと、はたして後部の窓ガラスに、空港(AERODROM)と書いたプレートが張られている。
空港バスは定刻の17時に発車した。料金は10マルク、約600円である。乗客は私をいれて4人。道中、何の話題か、運転手と客の間で世間話に花が咲き、車内はさながらグループ旅行に出発するようであった。