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 2015年秋 
異邦人のニューヨーク
 
6疲れたときには中華街
 (3日目)
写真
土曜の朝市
 公園の入口でストリートミュージシャンがギターを弾いていた。冗談めかしてアフロのかつらをつけ、ジミー・ヘンドリックスのパープルヘイズを歌っている。聴衆は数組の親子連れ。子どもといってもみな幼児で、音楽などいっさい耳に入らぬように無心におもちゃで遊んでいた。
  〈ジェネラル・グリーン〉というカフェレストランは公園のすぐ先にあった。店先に置かれた木のベンチこそ風雨に打たれてくたびれていたが、中はまったくこぎれいで、白ないしベージュを基調にした内装が店内を明るく温めている。カウンター席を抜けた奥にもいくつかテーブルがあるようだったが、入口側が明るく開放感があったので、壁際の2人用テーブルにつく。
 歩いてきた大通りに面して大きなガラス窓がはまっていた。まるで太古の昔から毎日そうであるかのように、10月最後の土曜日の、午前9時台の低い日差しが、迷いなく、そしてうるさいくらいに、店内にきらきらと流れ込んでいた。
 注文を取りに来た若い店員に、朝食セットの名前を告げる。このときふと気がついた。地元の白人の英語をちゃんと聞いたのは、滞在3日目にして初めてかもしれない。
 運ばれてきた料理は、じゃがいも、ソーセージ、スクランブルエッグという3点セットの上に、全粒粉っぽいトーストが載り、その脇に、ちぎったレタスが小さく盛られている。これに別注文のコーヒーが加わって、アメリカン・ブレックファストの小宇宙が完成する。ふだんはパンと紅茶の軽い朝ご飯しか食べないが、アメリカに来たからには、こういうアメリカの朝食の王道を行く朝食を一度は食べたいと思っていた。それがようやく実現した土曜の朝である。

公園のストリートミュージシャンと「聴衆」

運ばれてきた「Two Eggs Any Style」

土曜朝10時ごろの入口側の店内
*       *       *
 ブルックリンから地下鉄でマンハッタンに渡り、ペーパー・プレゼンテーション(Paper Presentation)という紙製品の専門店に行く。ところが商品をあれこれ見ているうちに、次第に具合が悪くなってくる。寝不足と食べ過ぎによる二面攻撃か? 店を出たときには思わず歩道で立ち止まった。
 どこかで少し休んでいこう。
 とはいえ、カフェの類では体は休まらないし、アウェイな気持ちが避けがたい。こういうときに多少ともホームの気持ちで体力の回復を待てる場所はないものか。そういう場所をひとつ知っている。たとえば中華街の足つぼマッサージ。最低30分は休むことができるし、内臓が刺激されて回復の助けになる。それに、どうしても調子が悪ければ店員に相談することもできる。
 ちょうどここから中華街までは地下鉄で数駅の距離だ。それくらいの移動はできそうである。F線からJ線かZ線に乗り換えてキャナル・ストリートへ。
 ネットで評判のよかった〈恵生中薬行〉に行ってみる。小さな入口の奥に受付がある「フットマッサージ」を受けたいと告げると、横にいた中国人のオヤジがすかさず、
——さあさあ、こちらへ。
というふうに私を奥にいざなう。私は30分でいいと言っているのに、まるで壊れたオルゴールみたいに、60分、38ドル、60分、38ドルと繰り返す「サーティ・ミニッツ」くらいの英語はわかるだろうに、さも聞こえないふうに、60分、38ドルと言って取り付く島もない。頑として受け付けないというより、愛想笑いでのらくらとごまかすタイプである。他に有力な候補店があれば踵(きびす)を返して出て行くのだが、店としては良さそうだし、なにより移動がしんどいので、ままよ治療代と思えと、60分38ドルで妥協する。
 奥の部屋に行くとリクライニング式の椅子が3台置かれていて、白人女性2人がすでに足つぼマッサージを受けていた。オヤジはどうやら英語は本当に不得意であるらしく、中国語で話しかけてくる。あまり聞き取れず、頻繁に聞き返すが、オヤジは話しやめるでもなく、スピードを落として話し続ける。
 結婚は? 子どもは?——と、身近な話題を振る。オヤジと世間話をしたところでなにも楽しくはないが、中国語の練習と思ってとりあえず話に付き合う。聞けば年齢は53歳、上海からアメリカに来て15年という。
 せっかくなので小籠包のうまい店があるか尋ねてみる。若い人はどうか知らないが、昔ながらの中国人は血縁・地縁意識が強く、上海系、福建系、広東系で生活圏が分かれていたりする。小籠包ならオヤジの領分だろうとの予測もあった。オヤジは上海料理なら任せろとばかり、456飯店と即答する。456の数字は番地でも番号でもなく、そういう店名であるらしかった。
 世間話も次第に飽きてきたのか、静かな時間が増えていく。しばらくすると、背中側のドアから女性が現れた。あれはN子だ、とオヤジが簡単に紹介する。異国の邦人どうし、短く言葉を交わす。日本で台湾式マッサージの経験があり、その経験を元にここで働いているようだ。
 ——ニューヨークの滞在を楽しんでください。
 別れの言葉を残してN子さんは受付へと消える。話した感じではN子さんのほうがよほど強く見えるが、調子のいいかばん持ち風のオヤジにしても、事情は何であれ、15年前に渡米という人生の決断を下したのだ。なによりこうして手に職をつけ、ニューヨークで生活しているのは大したものである。
 マッサージが終わり、受付を通って入口に戻る。全快には届かないが、中華街を散策できるくらいには回復した。会話のおかげで頭は休まらなかったものの、その分、マンハッタンにいるのを忘れ、ホーム感に安住する1時間だった。他人ばかりの大都会で、心身がすうっと休まる店が中華街にはある。
2016.3.08 記)

恵生中薬行(英名:Fishion Herb Centerの入口
〈店舗情報〉
The General Greene サイト
 229 dekalb ave., Brooklyne

(GoogleMap)
※ この店は編集者の菅付雅信さんがネット上で紹介されていたものです。この場をお借りしてお礼申しあげます。
Paper Presentation(紙製品)
 23 West 18th Street (Manhattan) 略図
恵生中薬行Fishion Herb Center) サイト
 107 Mott St (Manhattan)
456飯店(上海料理) 
 69 Mott St (Manhattan)

(GoogleMap)