プリシュティナ(コソボ共和国の首都)
12:45バスターミナルにて。
ターミナルの中をざっと見渡したところ荷物預かりはなさそうなので、コソボで使うために持って来た会話集をさっそく使い、適当な窓口で「A keni dhoma e bagazheve?」と聞く。荷物預かりはありますか?という意味である。
専用の場所はなかったものの <Information> と書いた部屋が荷物預かりを兼ねているらしく、窓口の男は向かいの部屋を指差す。料金を先に払ってチケットを受け取る。
着いた早々なぜ荷物を預けるかといえば、この足でグラチャニツァに行くのである。今夜はここプリシュティナに泊まるのだが、宿まではけっこう距離があるため、せっかくバスターミナルにいるので、先にグラチャニツァに行ってしまおうという算段である。バスで20分の距離なので、気軽に往復できる。グラチャニツァにはグラチャニツァ修道院という古いセルビア教会があり、ユネスコの世界遺産に登録されている。それを見に行くのである。
余談ながら、グラチャニツァという地名は初めて見る人には長たらしくて読みづらいかもしれないが、〈グラ・茶・ニツァ〉と3拍子で覚えればそれほど難しくはない。
脱線のついでに書くと、コソボ(正式にはコソボ共和国)を旅するにはいくつか予備知識がいる。コソボはつい何年か前まではセルビアという国の自治州に過ぎなかったが、2008年に独立を宣言する。欧米はいち早く独立を承認し、日本も承認しているが、コソボを擁するセルビアはもちろん、その後ろ盾であるロシア、そして中国はいまだにコソボを国として認めていない。
セルビアがコソボの独立に強固に反対する理由のひとつは、ここが中世セルビア王国の故地であることによる。その後、この地域は14世紀にオスマン帝国の支配下に入るが、これから行くグラチャニツァ修道院をはじめ、セルビア正教の古い教会がいくつか残り、セルビアの文化がこんにちまで守り抜かれている。
しかし残念なことに、旧ユーゴスラビア解体の余韻のなか、欧米のお節介もあり、コソボのアルバニア人とセルビア人は21世紀を前に殺し合う事態へと発展する。その後、2004年の暴動でも多くのセルビア教会が破壊され、アルバニア人とセルビア人の対立は決定的となる。
これから行くグラチャニツァ修道院は、そういう暴力の応酬を辛うじて免れた貴重な建物だ。逆にアルバニア人にすれば、忌まわしきセルビア支配の残滓(ざんし)として映っているかもしれない。ロンリープラネットのガイドブックには、公共バスでグラチャニツァに行くときはなるべく目立たないのが賢明だと書かれている。
——高い文化価値とアルバニア人による敵視。
コソボのセルビア教会を見るには、少なくともこの2面を知っている必要がある。
移 動
話はバスターミナルに戻る。
荷物を預けたあと、先ほどの窓口で「Dua të shkoj në Graçanicë.」(グラチャニツァに行きたい)と言うと、Platform no.4と英語で教えてくれる。バスの切符は乗り場か車内で買うようだ。
バスに乗る前にトイレ。30セント。
4番ホームで待っているとすぐに次のバスが来る。制服の男に「Ku blej biletë?」(切符はどこで買うの)と聞くと、車内を指差す。さっきの窓口の男といい、この制服といい、いずれも無愛想だが聞けばちゃんと答えてくれる。
✧荷物預かり 1
✧トイレ 0.30
✧バス 0.50(→グラチャニツァ)
コソボの通貨はユーロ
13:05発車。少し停まったときに、運転手に「Dua të zbres në Graçanicë.」(グラチャニツァで降りたい)と告げる。わかったという感じで一言返答があった。
蛇足ながら、コソボの公用語はアルバニア語だが、実際に話されるのはゲグ方言と呼ばれる方言だ。標準アルバニア語とは発音がわりと違う。旅行者はさすがにそこまでマニアックになれないので、ゲグ方言については気にしないことにしている。そもそもアルバニア語の名詞は語尾がいろいろ変化するが、語尾の形まで気にしていられないので、私の旅日記で書いているアルバニア語は基本的に名詞の語尾が適当である。なので、模範文だとはゆめゆめ思わないでいただきたい。
それでもけっこう通じている。アルバニア人にしても、怪しげな東洋人旅行者に正しいアルバニア語など期待していないだろう。たとえて言えば、大阪の道頓堀で危なっかしい標準語をしゃべる白人観光客みたいなものだろうか。
ここで、コソボの簡単な地図を示しておこう。水色の矢印が今日のこれまでの行程で、グレーの実線が国境線だ。
コソボ初日の行程(Googleマップを加工)
グラチャニツァ
13:20ほんとに20分で着いた。賑やかな一角で停まったので、車掌にグラチャニツァ?と聞くと、そうだという素振りだったため、前の女性に続いて私も降りる。
修道院の入口は銀行と郵便局の向かいだという情報は得ていたが、どっちの方角かわからない。店先に座っている店番らしきお姉さんに、「Gde je crkva?」(教会はどこですか)と聞くと、まっすぐだと、ジェスチャー付きで答えてくれる。
グラチャニツァはセルビア人の町である。
なので、アルバニア語を使うのはよろしくない。旅の後半は他の国に行く予定のため、私はクロアチア語の会話集もしっかり持って来ている。セルビア語とクロアチア語はほとんど同じである。上の質問はセルビア語だ。
修道院
少し歩くと修道院の石壁が見えてくる。中央にあるのが正門か。
横のくぐり戸が開いているので入る。と、正面にロシア風の立派な教会。左右には若草色の鮮やかな芝生。中はいったいどんな風なのか、少し緊張しながら聖堂に入る。
聖職者しか入ることのできない教会の最奥部を正教会では至聖所といい、その至聖所を隠す衝立(ついたて)や壁をイコノスタシス(またはイコノスタス)と呼ぶが、ここのイコノスタシスは意外と地味だ。それでも、イコンと呼ばれる、聖人などを描いた絵が掛かり、信徒たちの思いが偲ばれる。
それよりも、壁という壁がすべて壁画で埋めつくされているのが圧巻だ。これがフレスコ画というものか。ただ、年月を経て傷みが激しい。
少しひんやりする堂内で数百年の時間にしばらく浸っていたいと思ったが、教会守のおばさんが堂内を行き来してどうも落ち着かないので、時間をぎゅっと閉じ込めたような重みのある空気を全身で受け止めてから外に出る。
門の横の売店で絵葉書。
✧絵葉書 2
グラチャニツァ修道院の石壁
正 門
聖 堂
散 策
セルビア人の町グラチャニツァをもう少し見たいと思い、惣菜パンのようなものを1つ買って食べたあと、街道から脇道に入ってぶらぶらする。雑貨屋の近くに学校がある。日差しが強く、意外と体力を消耗しそうなので、大事をとって5分か10分ほど歩いて引き返す。
コソボの内乱で多くのセルビア人が国外に逃れたなか、首都に近い町がよく残ったものだと思う。見たところメインストリートが数百メートル程度の小さな町だが、なんとここからセルビアの首都ベオグラードまで直通のバスが出ている。つまり、プリシュティナで乗り換えることなく、この牧歌的な町と本国セルビアの首都とがダイレクトでつながっている。ここが「セルビアの飛び地」と呼ばれるのも頷(うなず)ける。パレスチナとエジプトをつなぐ輸送用の隠しトンネルのことをふと思い出した。
学 校
脇 道
14:45プリシュティナ行きのバスに乗り、15時5分ごろにプリシュティナのバスターミナルに帰着。
✧惣菜パン 4
✧バス 0.50
✧水 0.30