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コソボ日記
--- Days in Kosovo
2014.5.20tue.5.25sun.
1. 序〜スコピエ〔マケドニア〕
写真
スコピエの目抜き通りと通行人
 コソボ旅日記では、旅の体験や出来事、感想などをリアルにお伝えできればと思っています。よろしくお付き合いください。
 第1話はマケドニアの首都スコピエから始めます。
 コソボ入国から読みたい方は第2話からどうぞ。
icon2014年 5月20日(火)
iconスコピエ(マケドニアの首都)
 到 着
 夜の8時すぎにトルコ航空(ターキッシュエアライン)でイスタンブールから到着する。とりあえず50ユーロを替えると、2741 MKD(マケドニア・ディナールになる。1ディナールはざっくり3円弱と覚えておく。
 ターミナルの前で待っていた空港バスに乗り込む。バスと言ってもワゴン車だ。運転手は真面目そうな爺さんである。空港バス 150
 この時間に飛行機で到着する客は少なく、そのせいか、このバスは客の宿をひとつひとつ回ってくれる。といっても、途中で停まった宿はほんの2軒ばかり。いずれも立派なホテルであった。
 どうやら私の宿が一番遠いようで、最後に私1人が残る。安宿なのでさすがの運転手も場所を知らないと見え、爺さんは私の地図を見ておおよその場所を把握する。しかし、近くまで行ってもなかなか見つからない。
 そろそろ人通りが減ってこようかという頃合いである。爺さんは路上に若い男を見つけると、車を降りて尋ねてくれる。場所はそれでだいたいわかったようで、そのまま少し先に進むと「この先を曲がったところ」だと私に言う。ちょうど頭上に宿の看板が出ているので、あとはひとりで大丈夫だろう。
 矢印の通りに進むと、はたして Urban Hostel があった。多謝。
 スコピエの地理感覚がわかるよう、周辺の地図を下に貼っておく。これから行くコソボ共和国はスコピエの左上になる。
地図
マケドニア周辺図(Googleマップを加工)
 21:40向かいの棟の3階5号室に入室。ぐったり。チェックインが遅かったからか、予約したバストイレ共同の部屋ではなく、なんとアパート部屋になった。日本風にいえば1LDK。寝室は小さいが、キッチンのついたリビングが広い。もちろん追加料金などない。夜寝るだけというのが勿体ない。
 このまま休みたいのをおして、まずは飲み物を買いにいく。スーパーの場所はフロントのお姉さんが教えてくれた。
 旧ソ連圏の街らしく、ひとつひとつのブロックが長い。ほんの一筋向こうまで数分歩く。コンビニ的スーパーで水とココアを入手。退店時には出入口のドアが閉まっていた。午後10時閉店だったので、もう少し遅ければ閉まっているところだった。
水500ml 15、ココア 24
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リビング(予約はバストイレ共同のシングル)
今日の締め
MKD残:2741-189=2552 ✓
ユーロ札残:財布110+保管280+予備100=490 ✓
icon2014年 5月21日(水)
 朝の散歩
 6:40時差ボケで朝5時半ごろに目が覚めたので、昨日寝落ちしてやり残した会計や荷物整理をする。さて、このあとは朝の散歩に行くか、それともこのままプリシュティナに移動するか。せっかく来たのだから、少しはスコピエの街を歩くとしよう。
 7:10朝食は「できれば9時以降」とフロントに言われているので(8時から9時の間は混む予定らしい、先にパッキングを済ませておく。さて、朝の散歩だ。
 昨日来たときとは逆の方向、つまり宿を出て左に向かうと大通りに出る。名前をパルティザンスキ・オドレディ(Partizanski Odredi)大通りという。その大通りに沿って中心部に向かう。2階建てのバスがたくさん走っている。中古ではなく比較的新しい。どこで造っているのだろう。建物の1階にはいろんな商店が入っている。目に入る光景が変わっていくので退屈しない。
 交差点に大きな正教会がある。聖クリメント大聖堂だろうか?
 7:45Partizanski Odredi 大通りの突き当たりに到着。宿から30分だ。宿には朝食の9時までに戻りたいので、8時すぎに折り返すことにする。
 ちなみに、上の文では地名をラテン文字で書いたが、マケドニアでは基本的にロシア語と同じキリル文字を使う。なので、街路の名前もすべて下の写真のようにキリル文字で表示される。ただし、商品の名前や広告などにはラテン文字も使われる(マケドニアの文字に興味のある方は マケドニア語の文字と音 をどうぞ。)
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Partizanski Odredi 大通りの標識
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テーブルウェアショップのウィンドウ
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朝の売店(壁の文字はラテン文字だ)
 ビジネス街を数分歩くと大きな広場に出る。これがマケドニア広場のようだ。スコピエ、いやマケドニアを代表する広場である。
 中央に大きな騎馬像がある。ふつうに想像すればアレキサンダー大王(アレクサンドロス3世)だが、そういう仰々しい飾り立てはなく、質素な円柱台の上に巨大な像が載っているだけである。
 正確なところは知らないが、どうやら公式には無名戦士とされるものの、像がアレキサンダー大王であることは暗黙の了解であるらしい。アレキサンダー大王は古代マケドニア王国の大英雄として知られ、隣国ギリシャはもとより、遠くエジプトやペルシャまでを支配する大帝国を築く。当時、世界の先進地域だったギリシャにすれば、格下の異民族に支配されることが屈辱だったことは容易に想像される。この感情——というかプライドのようなもの——は現在のギリシャに脈々と受け継がれていて、両国の摩擦の一因をつくっているという。
 たとえばマケドニアの国際的な正式名称は「マケドニア旧ユーゴスラビア共和国」であり、旧ユーゴの亡骸(なきがら)を背負わされている。
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マケドニア広場の巨大騎馬像
 聖キリル
 マケドニア広場の北側に川が流れる。バルダル川だ。石橋を北に渡った左右には2組の銅像が立つ。渡って左にあるのが聖キリル(ギリシャ名=キュリロス)と聖メトディウスの像だ。2人は兄弟で、布教のためにスラブ人の国に派遣される。東方のキリスト教の公式言語はギリシャ語なので、2人は布教のためにギリシャ語をスラブ語に翻訳する。そのときスラブ語を表すために考案した文字は後に弟子たちによって改良され、現在使われるキリル文字になったという。キリル文字の名前の由来である。
 橋を渡った右側には聖クリメントと聖ナウムの像が立っている。この2人も宣教師で、今のマケドニアのオフリドを拠点に、スラブ語による布教に尽力したらしい。
 宿を出てから1時間が経ったので、そろそろ戻ることにする。
写真
聖キリルと聖メトディウス
 9時前に宿に到着。ロビーに行くとちょうど何人かのグループが出て行くところだった。朝食が混むというのはこのことだったのかもしれない。
 このあとはいよいよコソボに向かう。
〈マケドニア語表記〉
ボタンスコピエ:Скопje
ボタン聖クリメント大聖堂:Црква „Св. Климент Охридски“
ボタンマケドニア広場:Плоштад Македонија
ボタンバルダル川の石橋:Камен мост
〈関連リンク〉
ボタングラゴル文字:古代教会スラヴ語の文字(地球ことば村)
ボタングラゴル文字とキリル文字:ブルガリア研究室「読書感想文:『夫婦で行くバルカンの国々』(その二)
ボタンスコピエ全般:スコピエ(ウィキペディア)
〈その他〉
 聖キリルと聖メトディウスによる文字考案の伝承からキリル文字の発生については『スラヴ語入門(三谷惠子、三省堂)の第2章に記載がある。
(2014.6.09 記、8.27 修正と分割、2015.3.21 改)