ビエンチャンの賑やかなエリアを出発し、まずは大統領府の前からランサーン通りを北に上がる。
道のりとしては、パトゥーサイまで直進してから曲がるほうが近いのだろうけど、直線道路を延々と歩くのは飽きるし、どうせなら日本大使館の前を通ってみたいと思い、少し手前で折れてノンボーン通りを行くことにする。
ノンボーン通りを数分入ると、白髪の仙人でも住んでいそうな道教風の寺がある。ベトナムの文字が門に書かれているのでベトナム寺院と見える。いったいラオスの寺はがらんとして、自己修練の場という空気が濃いが、ここは狭い敷地に建物が建て込み、仙人どころか、純白の仏像がにこやかに並んで出迎える。おまけに正面にそびえ立つ高楼がどうにも権威的で俗っぽい。
ベトナム寺院に興味を引かれはしたが、まだノンボーン通りに入ったばかりなので先に進む。曇り空は風景としては冴(さ)えないが、むき出しの街路を延々と歩くにはむしろ好都合だ。
立派な建物を左手にやり過ごすと、周囲はいきおい地味さを取り戻す。ベトナム語特有の符号が付いた文字の看板をときどき見ることからも、この界隈はベトナム系が多いのかもしれない。
5分ほど歩くと信号機のある交差点に出る。向かいの角に寺があるが、寄らずにそのまま直進する。てくてく歩いているとリズムが頭のなかに少しずつ染み込んできて、雑念が徐々に消えていく。
やがてY字路に出る。これでノンボーン通りを半分ほど来たことになる。タートルアンは道なりに行くほうが近いが、右側の地味な道を取ると日本大使館がある。
この辺りまで来ればすでに空間が広い。通りから見た大使館の敷地もゆったりしている。門には守衛と職員らしき女性がいるばかりで、さすがにラオスだとそれほど緊張感はない。外壁にはネズミ返しのような突起がずらりと並んでいるものの、どこか形式的な気がしなくもない。イランの大使館とは物々しさのレベルが違う。大使館を包むゆるやかな空気に安心した。
大使館の先のT字路を左に折れる。この細い道の突き当たりで、先ほど分かれたノンボーン通りに戻る。そこからタートルアンまではあと少しである。
灯台もと暗しで、近づくとかえって入口がわからない。
手元の地図を見ると東側に参道らしき線が描かれているので、東に回ってみる。はたして門前とおぼしき界隈がにぎやかである。観光客が観光バスで乗り付けるスポットがラオスにもあることに軽く驚きつつ門をくぐる。
あと1時間ほどで閉門だからか、門前に並ぶ土産物屋にはどこか間延びした空気が流れている。なかでも店舗をもたず、リヤカーの荷台に商品を並べているだけの露店は客も寄りつかず、こちらが心配になるほどだ。
小さな入口で入場料を払い、いよいよ中に入る。
タートルアンはラオスを代表する仏塔だが、見たところゴールドの塔が建っているだけで、宗教的な厳かな空気は希薄である。たしかに迫力にいまひとつ欠けるきらいはあるが、そこは純朴のラオス、男は黙ってサッポロビール的な、誠実な貫禄に安定感がある。
団体客の姿はすでになく、小グループがぱらぱら見学する程度である。内壁の内側は非公開なので、周囲をぐるっと回る。軽い興奮をまとった訪問者たちの発するほのかな熱が、芝生のそこここを温めている。
祠(ほこら)がいくつか要所に設けられている。内部には仏像が祀(まつ)られていて、ときおり篤信家が訪れては祈りを捧げている。
タートルアンで忘れてならないのがセタティラート王である。都をルアンパバーンからビエンチャンに遷したほか、タートルアンを大幅に改築したとかで、その像がタートルアンの背後に飾られている。
その南側に、寺の名はわからないが、巨大な涅槃(ねはん)像を置く寺があった。バンコクのワット・ポーを思わせる、高さが3メートルはあるような巨大な像である。
タートルアンからこの涅槃像までゆっくり見学していたら1時間ほどが経っていた。ここからまた1時間かけて帰らないといけない。帰路は回り道をせず、ノンボーン通りを直進する。Y字路まで戻った先に鉢植えの花屋があり、色とりどりの花が咲いていた。
通勤ラッシュにはまだ早い気がするが、大通りはさらに車が増えて一日の残照をじんわりと放射していた。