バスはやがて高野橋を西に渡って北大路に入る。
店はあるが建て込んではおらず、空も大きく見渡されて、どことなくまばらな感じのする街並みである。
バスは順調に走って烏丸通りを越え、バスターミナルを素通りし、さらに賀茂川さえ越えて、とうとう堀川通りに出る。そこで満を持してというふうに、堀川通りをゆっくりと北に入る。
堀川通りは右京を南北に走る主要道路で、左右にさまざまな建物が並んでさすがに賑やかである。すぐ横を堀川が流れるおかげで空間が左右に広く、沿道は伸びやかな空気に満ちてすがすがしい。バスは信号で止まることも少なく、北山通りをずんずんと進む。
中学校を過ぎたあたりで右手に賀茂川が現れた。
山から流れ出る賀茂川と高野川は出町柳で合流してY字をつくり、鴨川となって南行する。賀茂川はY字の左腕に当たり、バスの進行に即していえば、北上する堀川通りに対して賀茂川が右下から斜めに突き当たってくる。そこは堀川通りの終点でもある。バスの北上もそこで終わり、まるで大通りから押し出されるようにして御薗橋(みそのばし)を東に渡る。
私はその先の停留所でバスを降りた。
先ほど御薗橋を渡ったとき、車窓からは、賀茂川がはるか北の山中から南の盆地に向けて陶然と流れ行く様子が眺められた。私はもう少しよく見たいと思い、河川敷に降りてみる。行楽日和の快晴だったが、洛北で見る11月下旬の太陽はどこか遠慮がちで、川面にちらちらと反射する日光も弱々しい。ゆっくりと遠ざかる壮年の後ろ姿を静かに見守るような、ほんのりと温かい時間が流れていた。
御薗橋のすぐ近くに目的の上賀茂神社はあった。
たしか学生時代に一度だけ来た覚えがあるが、参詣に来たというよりついでに立ち寄ったという程度だったこともあり、清々とした雰囲気があったことしか記憶にない。
バス停と、ちょっとした食べ物屋が小さく集まった前に、大きな一ノ鳥居がそびえる。そこから奥に向けてざっと150メートルほどの参道が続く。気が滅入るほど延々と参道が伸びる下鴨神社を思えば、かなりコンパクトである。二ノ鳥居をくぐると神域である。
二ノ鳥居をくぐったつい正面に立派な社殿があるが、素通りして奥に向かう。人造らしき小川がさらさらと流れる先に、鮮やかな朱の門。楼門である。その先にいよいよ本殿がある。
本殿は楼門正面の、ゆったりと続く石段を上がった先にある。有名な神社にしては特徴のない地味な賽銭箱がひとつ置かれるばかりで、前に3人ほどが立てば横幅は限界、参拝者が集まればたちまち4重、5重の列になる。周囲の写真を撮っているうちに列が短くなったので、私も後ろに並ぶ。京都の市バスはまだICカードが使えず、100円玉と10円玉を手元に残したかったため、中途半端ではあるが50円玉を1枚、賽銭箱に落とす。
二礼、二拍手、一礼。
心を空っぽにし、閉じた目で堂内を見る。人が多くて邪気が強いのか、涼やかな薫風が流れている感じは受けなかったが、おそらくは私に感じ取る力がなかっただけで、神気はたしかにここに存在しているに違いない。
社に祀(まつ)られているのは賀茂別雷大神(かも わけいかづち の おおかみ)だという。古代豪族・賀茂氏の氏神(うじがみ)らしいが、はたしてどういう神か。ウィキペディアを当たってみたが、いまひとつ判然としない。別のサイトには「山城国風土記に登場する雷神」とある。
どのみちはるか神代(かみよ)の話、真偽入り乱れて真相は知る由もない。それより、一豪族の氏社(うじしゃ、うじやしろ)がこんにちまで朽ちることなく延々と続いていることに驚く。
入るときは気づかなかったが、楼門の前に1本の桜が植わっている。賀茂桜の立て札がある。すっきりと剪定されているが、枝振りに勢いがあり、そのうえいかにも洛北らしい、どこかゆったりとした雅趣がある。
裏に新宮社という摂社(付属の小神社)があるようなので行ってみる。しかし残念ながら工事中で、門はかたく閉ざされている。その代わり、その閉じた門の手前に小さな社が整えられ、そこにご神体が遷座されていた。由緒はまったく知らないが、中に入れないとわかると参拝したくなるのが人情、仮設の賽銭箱に10円玉をひとつ落として手を合わせた。
境内には摂社・末社の類があちこちに建っているが、参拝はひとまずこれで終わることにする。楼門の前まで戻ると、家族連れが橋のたもとで七五三の写真を撮っていた。ちょうどそういう時季のようで、境内では七五三の家族連れを多く見かけた。この種の行事は女の子のほうが衣装が鮮やかで華がある。たいていはむしろ父親がいそいそと連れ歩いている風情である。
さらさらと流れる人造の小川を越える。振り返ると、緑のなかに紅葉と楼門の朱が溶け合って雅(みやび)である。
二ノ鳥居の周囲も七五三をはじめとする家族連れで賑わっていた。まるで晴れ姿の我が子が自分たちを日常世界から夢想の世界に連れ出してくれるとでもいうように、大人たちの気持ちが幼い子どもに寄りかかっている。
そうした風景を少し醒めた目で見やりながら、私は二ノ鳥居から一ノ鳥居に戻る。正午過ぎの乾いた熱が、地面からゆらゆらと立ち上ってくる。ふいに空腹を覚えたが、辺りに店は少なそうなので、ひとまず街に戻ろうと私はバス停を目指して境内を出た。