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ネパール旅行記
衝天のスワヤンブナート
 まだ商店が開く時間ではないが、breakfastと看板を挙げた店々でさえ、冬の朝7時半はまだ客の姿がなくて寒々しい。そのまま何となく南に歩くうちに、旅行者が集まるタメル地区も終わり、チェトラパティ・チョークの交差点が近づく。交差点に出る少し手前に、うまい具合に英語の看板を挙げた店があった。
 バタートーストとミントティーを注文すると、10分ほどかかってそれらが運ばれてくる。トーストは少し焦げ目が多いのがご愛敬。子どもの頃に自分でトーストを焼いていたことを思い出した。ミントティーにはミントの葉が数枚浮かんでいる。良くも悪くも手作りの誠実感があふれていて、おだやかな気分になる。

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バタートーストとミントティー

 朝8時すぎのチェトラパティ・チョークはまだ車もバイクも少なく、すがすがしい。カトマンズにはチョークの付く地名が多いが、チョークは中庭や広場を意味するようなので、空間のある四つ辻をそう呼ぶのだろう。とくにここはロータリー(ラウンドアバウト)になっていて、いったい何に使うのか、中央には舞台のような円形の台まである。車やバイクはその周りを時計回りに回る。円形の台の脇には小さな祠堂(しどう)まであり、律儀な男女がときおり訪れてはお詣りをしていく。

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チェトラパティ・チョークの祠堂(右)

 チェトラパティ・チョークは正確には四つ辻ではなく五叉路である。スワヤンブナートに行くには西の道を行けとガイドブックに書いてあるが、西の方向に向かう道は2本ある。2000年に来たときはここで方角を間違えて大回りをした記憶があるので自ずと慎重になる。
 この道でいいはずだが……。
 往来が多くこの道で正しいはずだが、進むうちに不安が募る。会話集をカンニングしたあと、道ばたの暇そうなおじさんに、
 「スワヤンブー・ジャネ、ヨ・ナト・ホ?」
と、聞く。スワヤンブナートはこの道ですか?という程度の意味だ。地元では最後の「ナート」を省略してスワヤンブーと言うのが一般的だ。
 「ヨ」
 おじさんは前方を指さしながら、簡潔だがやさしい響きの答えを返してくる。ここの人たちは見知らぬ者に親切心を誇示することはなく、むしろ素っ気ないほどだが、言葉に体温が感じられる。
 なにか許可を得たような心強さで道を進むと、小さな分岐点に出る。道なりに右に行けばいいと思うのだが、左の小道もなんとなく捨てがたい。あたりを少しうろついたあとにふと見ると、地名の標識の下に別の小さな標識があり、かわいらしい仏塔のイラストとともに「スワヤンブナートはこちら」と書かれている。

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標識の下に小さな標識があった

 かつて同じように迷った同類たちに共感を覚え、先人たちの足跡をたどる気持ちで道なりに進む。道はその先で大きく右に曲がり、やがて大通りに出る。このあたりの記憶はまったくない。向かいにヒンズー寺院が見えてくる。左に川があるのでこれが説明にあるインドラニ寺院だろう。
 見たところ立派な寺のようだが、先はまだ長そうなので寄り道をせずにそのまま橋を渡る。乾期のためか、ビシュヌマティ川の水量は少ない。橋からきれいな風景が見えるかと期待したが、土のうえはごみだらけでとてもきたない。

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ごみが散乱するビシュヌマティ川

 橋を渡ったあとはガイドブックの説明に沿って右手の階段を上る。階段のうえにはビジェシュワリ寺院がある。名前の響きからヒンズー寺院と勝手に思い込んでいたが、どうやら仏教寺院でもあるらしいことがあとでわかった。いろいろな像が祀られていたのでもう少し注意して見ればよかった気もするが、朝の空気が残るうちにスワヤンブナートに着きたかったので、先を急いだのだった。
 ビジェシュワリ寺院の脇を抜ければスワヤンブナートまで一本道である。実質的にこれが参道といえる。しかし車道と合流するといきなりバイクが通り始め、のんびり散策することは叶わない。町なかを歩くときと大差ない緊張感を強(し)いられる。道ばたにガネーシャだかビシュヌだかの像がひょっこり立っていると気持ちがなごむ。

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道ばたのヒンズー神にお詣りする女性

 参道をひたすら歩く。バイクが往来する、人も往来する、ときおり車も通る。沿道には学校やスクールバスの乗り場があり、制服姿の子どもを多く見かける。今日は西暦では大晦日だが、ネパールで使われるビクラム暦では平日であるらしく、通常の授業があるようだ。
 やがて前方にスワヤンブナートが見えてくる。中心の大仏塔より左右の仏塔が白々と照っていてよく目立つ。

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前方に仏塔群が見える

 参道を20分ほどゆったり上ると山門前に着く。門前には軽食屋を中心に何軒が店が集まっているが、ここでは仏教は傍流だからか、特別な賑わいはない。仏具の店がひしめくわけでもなく、テーブルにただロウソクを並べて売るだけの「店」が数軒出ている程度である。
 山門は丘のふもとにあり、ここから頂上の大仏塔まで上っていく。きついのは最後の石段だけで、それまではゆるい石段をだらだらと上っていけばいい。

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門前の様子。手前側が山門で奥が参道

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参詣者はマニ車を回しながら進む

 土産物屋がぽつりぽつりと立つなかをピクニック気分でゆっくり上る。2000年に来たときは土産物屋がもう少し多かった気がするが、季節のせいだろうか。あるいは、ゼネストや停電などでネパールのイメージが悪化しているせいで、観光客が減っている可能性も高い。私が心配しても仕方ないが。
 ゆるい石段を上りきると急勾配の石段がそびえる。アンコールワットなどもそうだが、一段一段の奥行きが浅くて踏み込めず、姿勢がどうしても立ってしまう。最近は平衡感覚に自信がないので、カバンを前に回し、念のために手すりを持って進む。
 頂上まであと20段か30段、もう一息だ、という所に、待避所のような形でチケット売り場が設けてある。頂上を目前にした意気込みが削がれるが、たしかに少し休憩したいタイミングではあり、石段から外れた時間を利用して息を整える。
 入場料は意外と高く、200ルピーする。計算上は200円だが、旅行者の物価感覚からしても800円程度の価値がある。ツーリスト価格といえた。

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前半のゆるやかな石段

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最後に急な石段がそびえる

 入場料を払って残りの石段を上りきると正面にマンダラ台があり、そのうえに金色に光る特大の金剛杵(こんごうしょ)が載っている。金剛杵は密教僧が片手で持つものだと思うが、この金剛杵は1メートル以上の長さがある。結界を張っているのだろうか。
 ちなみに、金剛杵の原語をバジュラと書く人とドルジェと書く人があるが、前者はサンスクリット語で後者はチベット語なので、好みや視点の違いと思われる。

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マンダラ台と特大の金剛杵

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大仏塔(マハーチャイトヤ)

 スワヤンブナートは丘の頂上につくられているため、敷地はそれほど広くないが、大仏塔以外にもさまざまな建物がひしめいている。なかでも印象に残ったのは鬼子母神堂とチベット仏教の寺(ゴンパ)だ。
 鬼子母神堂は大仏塔の周りを半周すればおのずと目に飛び込んでくる。ちょうど何かの供養(プジャ)が執り行われている最中だ。
 私にはヒンズー教の儀礼と区別がつかないが、ここは仏教の聖地なのでネパール仏教の儀礼である。正面の看板にはNo Photoと書かれているが、邪魔をしなければ大丈夫だろうと勝手に解釈し、昔でいうノーファインダー、今でいえばデジカメの液晶モニタを見ず、腰のベルトあたりにカメラを下げたままレンズを勘で被写体に向けて撮る。
 堂に向き合って忙しく手を動かしている男がどうやら儀礼を執り行っているようだ。服装はいたって普通であり、近所のおじさんが何かの拍子に祭祀のまねごとをしているふうにしか見えないが、実体は在家の僧侶なのだろう。カトマンズ盆地にはバジュラチャリア(あるいはグルジュないしグバジュ)と呼ばれる妻帯の在家僧侶たちがいて、ネパール仏教の伝統儀礼を親から子へ受け継いでいくという。職業が世襲される点はカースト制度となじみがよく、儀礼を司る立場もあって、バジュラチャリアは仏教系カーストにおいて高い地位にあるという。盆や皿や雑多な細片を散らかした儀礼ひとつにも、カトマンズ盆地の底に粘り着いた社会体制が息づいている。

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鬼子母神堂での儀礼

 その後、チベット仏教の寺を2つ訪れてから急な石段を降り、スワヤンブナートを後にした。

(2013.1.23 記)
〈参考リンク〉 〈参考文献〉