寺はまさに丘の頂上にある。北と南に向けて際限なく見渡される。北を向けば、まるで地面から一斉に霜柱が生え出たかのように低い家々がびっしりと敷きつめられ、左奥にはスワヤンブーの白い仏塔がぼんやりと見える。その上にうっすらと浮かぶ白い稜線は、ランタン・リルンだろうか。
南に回れば、一転してのどやかな風景が広がる。家々はあるにはあるが、降り注ぐ日光の下、豊かな田園がゆったりと広がり、ちょうど春霞がかかったように山に向けて次第にかすんでいく。
北と南の好対照の風景は、いずれもカトマンズらしくて好きだ。とくに南側の眺望は、郊外ならではの、そしておそらくはカトマンズ盆地がずっと温めてきた、古来の風景だと想像された。
寺よりも眺望を眺めて満足した私は急な階段を降り、ラクーという名の細長い広場を逆に戻る。先ほど自称ガイドにつかまった広場の北には、もうひとつのヒンズー寺院、バーグ・バイラブ寺院があるので、次はそこを訪ねることにする。
石畳の広場はどこも冬の太陽にしめやかに暖められて、静かに注がれる日差しの底で、男たちはぼんやりと座り込み、女たちは作業をしながら雑談に興じる。ネパールでは電気も水道も頼りにならず、しかも石の家は夜、予想以上に冷え込む。天気のいい日中は、せめてこうして心ごと大きな伸びをしているのかもしれない。
バーグ・バイラブ寺院の入口はさりげない。地味な入口にたとえ気づいても、その奥がバーグ・バイラブ寺院だとは気づきにくい。私もガイドブックの説明を読んでいなければそのまま通り過ぎるところだった。
2頭の狛犬に守られた小さい入口をくぐると、正面に本堂の偉容がある。この貧寒とした町にそぐわないなほど威風堂々として、あらゆる衆生(しゅじょう)をしかと受け止める気配である。日々のお詣りなのか、なにか特別な祈り(プジャ)なのか、女たちが本堂の入口に集まっている。中庭では子どもたちがあちらで雑談し、こちらで走り回る。おそらく同じような光景が毎日繰り返されているのだろう。カトマンズの端から車でせいぜい10分ほどの近郊だが、人間関係は住民の間に根を深く降ろしていそうな気がした。
寺を出ると旧王宮前の広場が白々と照っていた。先ほどから「旧王宮」と書いているが、手元のガイドブックには旧王宮についての詳しい記載がなく、具体的にどれが旧王宮なのか確信がもてない。広場に面した一番立派な建物がそうだと思うのだが、先ほどの自称ガイドはそれを「Queen's house」と呼んだのが気になる。自信がないので「旧王宮とおぼしき」建物と書くことにする。
その旧王宮とおぼしき建物は、窓枠の彫刻がとても精巧だ。しかし建物が特別に保存されている様子はなく、1階の縁台では人がくつろぎ、出入口を人が出入りしている。いったい誰がどういう目的で、そしてどういう制度でこの建物を使っているのかわからないが、少なくともカーストがかなり高い人たちであることは想像できる。
2つのヒンズー寺院を見て旧王宮前の広場も回った。ごく普通の区画も歩いた。残るは5基の仏塔を配したチランチョ・ビハールだ。
広場を2つほど逆に戻って坂を登ると、見覚えのある祠(ほこら)、ロハン・デハルに出る。その斜め前に、2頭の狛犬に守られた入口がある。行きに通ったときは何の寺かわからずに素通りしたが、どうやらそれがチランチョ・ビハールのようなので、門をくぐって細い石段を上ってみる。
上り切った空間には仏塔が5基あるだけで、本尊を納める仏堂は見えない。いや、それは本来的に逆で、仏像はいわばフィギュアであり、ブッダの遺骨などを納めた仏舎利塔(仏塔)に祈るのが元来の姿である。仏堂がないとたしかに味気ない印象を受けるが、それだけこの寺は抽象度が高く、仏教の根本に近いのかもしれない。
5基ある仏塔は全体で「五仏(パンチャブッダ)」を表すという。五仏はいわば金剛密教のオールスターであり、大日如来(中央)、阿閦如来(東)、宝生如来(南)、阿弥陀如来(西)、そして不空成就如来(北)の5尊である。五智如来ともいう。
乱暴を承知で言えば、これら5基の仏塔は、陰陽師が空間の中央と四隅に呪詛を込めて結界を張るイメージに近いかもしれない。ただ、この寺に描かれているのは五芒星ではなく六芒星である。そのあたりの意味づけには興味を惹かれるが、調べると深みにはまりそうなので深入りしないことにする。
キルティプールでは地名の標識をよく見かけた。どれも塗装がきれいなので新しいもののようだ。地名が3種類の文字で書かれている。文字好きとして紹介すると、一番上がランジャナ体と呼ばれるネワール語の装飾的な字体、真ん中がネパール語にも用いられるデーバナーガリ、そして一番下が我らの英字である。
行きたいところにすべて行ったので、多少の名残惜しさを持て余しながら坂道を下る。寄り道をせずに最短距離を行くと、あっけなく門の手前に出る。ここまでくると大小さまざまな店が並び、交通量もそこそこある。夢から覚めた心持ちでいると、マイクロバスに追い抜かれる。
バスはすぐ先で停まって客が乗り込む。車掌の若い男が私をみつけて乗れと合図を送ってくる。
——カトマーダウン・ジャネ?
行き先はどうせカトマンズだろうが、「わかってるけど、一応確認しとく」という色をにじませながら、カトマンズに行くかどうかネパール語で聞く。車掌がうなずいたので乗り込むが、中はすでに満席である。満席どころかドア近くまで人が立っている。最終的には、乗れない客がドア口から頭を出した状態で走り出した。
幸い、7、8分走ったところで何人かが降り、超過密状態は解消された。ただ、その先がひどい渋滞で、抜けるのに10分以上かかる。カトマンズの南端を走るリング・ロードの交通量が多く、リング・ロードを渡れないのが原因のようだった。かつてのバンコクなどと同じく、車の増え方が道路の輸送能力を上回っている。結局、行きは30分だったのに帰りは50分もかかった。
中央郵便局の前で停まったので降り、郵便局で絵はがきを1枚出してから宿に向かった。