いわゆる見所の類は丘の上にあるが、急ぐ予定もないので細い脇道に入ってみる。せいぜい3人が並んで歩ける程度の細い道が、数階建てのレンガ家屋の間をまっすぐに通っている。ときおり人とすれ違うが、慣れているのか、それとも無関心なのか、よそ者にいちいち注意を向けてくる感じは受けない。
石畳が終わると小さな空間に出る。右に上っていく坂道の先が二股に分かれていた。こういう斜面では道が1本違うだけで行き先が大きく違うことがあるので注意が必要だ。ネワール語のメモの出番である。
キルティプールは先住民であるネワール民族の町である。そのため、ネットで拾ったネワール語の単語や例文をいくつかプリントアウトして持ってきていた。
「ラクー・グケ・ワネグ?」
さっそく活用してみる。ラクーは広場の名前である。店の前で立ち話をするおばさんに、ラクーへの行き方を聞く。ところが、案の定というべきか、こちらの適当な発音はおばさんの頭を混乱させただけのようで、どうにも通じない。いきおい「ラクー」を連発することになる。何度か繰り返してようやく理解してもらうことができた。聞いていると〈ラァクー〉のように最初のアをやや伸ばし、クーは無気音という種類の音で、かつ音程を高い音から下に下降させる。音を覚えておけば後でまた役に立つこともあるだろう。
おばさんは何か言いながら右の坂を上る身振りをする。「スバーイ」(ありがとう)と、これまたはたして通じるのかどうか、適当な発音で礼を述べた。
数階建てのレンガ家屋が両側に並ぶ道をしばらく行くと、長方形の広場に出る。広場にはたいてい大なり小なり仏塔が置かれている。こういう小規模な仏塔をネパールではチャイトヤと呼ぶらしい。
最初のうちは仏塔を見るとそこは重要な広場なのかと思ったが、見たところ仏塔はどの広場にも置かれている。広場があるから仏塔が奉献されるのか、それとも仏塔を奉献するために広場があるのか、判然としない。いずれにせよ、広場は住民の息抜きの場でもあるようで、必ずどこかの片隅で年配者らが井戸端会議を開いていたり、子どもたちが戯れていたりする。
大きめの広場に出たので、最初に聞いたおばさんの発音をまねてひと言「ラァクー」と言い、指で前方を示してみる。外国人に対する警戒感や答える面倒くささなどは不思議と感じられず、まるで友だちに「ああ、まだ先だよ」とでも言うような気楽な調子で答え、前を指さす。ラクーなどという具体的な地名を出して聞いてくる観光客はあまりいないのだろう。その近しさが心地よかった。
小さめの広場をいくつか越えると、やがて狭い寺とため池を備えた大きな広場に出る。ここがどうやらキルティプールの中心であるらしい。広場に面した立派な建物は旧王宮だろうか。
写真を撮ろうと広場に入っていくと、たむろするなかから一人の男が「ナマステ」と声をかけてくる。しばらく英語で雑談するが、結局はガイドの営業だった。5ドルでいいというが、ネパールでは外国人旅行者と現地住民とで住んでいる世界が歴然と違う。詳しい物価はわからないが、こちらで5ドル、すなわち400ルピーといえば平均日収に近い。男は「cheap」と言うものの、5ドルは私の物価感覚ですら2、3千円ほどの感じなので、庶民の生活のなかではざっと1万円くらいの価値がありそうに思える。とても「cheap」ではない。たしかにいい人のようではあったが、それほど有能な印象は受けない。第一、私は写真を撮りながら自由に巡りたかった。
男を置いて先に進む。道がまた二股に分かれている。地図と見比べていると、ちょうど通りがかった男が「Can I help you?」と声をかけてくれる。またガイドかと一瞬、怪しんだが、いや、たまたま通りがかったのだと思い直し、ダルバール広場に行きたいと告げる。男は、この道を100メートルほど行った先だと手振りを交えて教えてくれ、爽やかな空気を残して軽やかに去って行った。純粋な親切心に気持ちがなごむ。
右の道を進むとすぐに細長い広場に出た。寄り道をしながらゆるい坂道をだらだら登ってきたが、いよいよここが突き当たり、目指すウマ・マヘシュワール寺院はすぐ先である。寺の塔が奥の建物の屋根から突き出ていた。
蛇足ながら、麓(ふもと)からずっと探してきたラクーは先ほど通った旧王宮前のにぎやかな広場ではなく、この突き当たりの地味な広場のことだった。
小さな町ではあるが、いくつかの名所旧跡をここから巡ることにする。