本堂や拝殿のある場所から細い道に入り、文殊堂、観音堂と越えていくと、地蔵の石仏がずらりと並ぶ道に出る。周囲は高い木立に覆われ、一歩進むごとに体の邪気が薄まっていくように感じられる。
小さな神社と大師堂を越えると奥の院である。ここにも多くの地蔵が祀られていた。
入口のすぐ左手に開山堂がある。
その名が示すように、中興開山(寺院を復興させた僧侶)の湛海(たんかい)律師を祀ったお堂である。
その名が示すように、中興開山(寺院を復興させた僧侶)の湛海(たんかい)律師を祀ったお堂である。
奥の院の正面に重々しく建っているのが奥の院の本堂である。
宝永2年(1705年)の建立と伝わるが、後に焼失し、安政3年(1856年)に再建される。生駒にこんな由緒ある寺があるとは今日まで知らなかった。
宝永2年(1705年)の建立と伝わるが、後に焼失し、安政3年(1856年)に再建される。生駒にこんな由緒ある寺があるとは今日まで知らなかった。
下界より多少は涼しいかと思ってやってきた宝山寺だったが、上空の大気が不安定だという天気予報のとおり、奥の院に着いたら急ににわか雨が降ってきて、一気に気温が下がる。
そういえば、去年も比叡山に避暑に行ったら午後から雨になり、たしかに涼しくはあったものの、あまり避暑という感じがしなかった。
そういえば、去年も比叡山に避暑に行ったら午後から雨になり、たしかに涼しくはあったものの、あまり避暑という感じがしなかった。
開山堂の軒下で様子を見ていると、雨はどんどん激しくなる。折りたたみ傘など何の役にも立たないほどの好き勝手な降り方で、とくに急ぐ用事もないので、小やみになるまで雨宿りした。
雨が上がったので本堂にお詣りに行く。
本尊は不動明王だが、他のお堂と同様に中は広く暗く、いまひとつ中の様子がわからない。とはいえ、お詣りは霊的な行為だから目に見える世界はあまり関係がない。直観でダイレクトに観ればいい。
お詣りのために細いロウソクを1本買おうとすると小銭が足りず、窓口の人に釣り銭をもらっていると、私の雨宿りの様子を見ていたのか、傘を貸してくれようとする。
もうやんだようなのでと、丁寧に断ると、必要だったらいつでも言ってくださいと、当たり前の調子で明るく語りかけてくる。住職ご本人なのか、初めて訪れた参拝者に与える大きな慈悲心に、心が少し動揺する。
本尊は不動明王だが、他のお堂と同様に中は広く暗く、いまひとつ中の様子がわからない。とはいえ、お詣りは霊的な行為だから目に見える世界はあまり関係がない。直観でダイレクトに観ればいい。
お詣りのために細いロウソクを1本買おうとすると小銭が足りず、窓口の人に釣り銭をもらっていると、私の雨宿りの様子を見ていたのか、傘を貸してくれようとする。
もうやんだようなのでと、丁寧に断ると、必要だったらいつでも言ってくださいと、当たり前の調子で明るく語りかけてくる。住職ご本人なのか、初めて訪れた参拝者に与える大きな慈悲心に、心が少し動揺する。
雨がやんでいるうちにと、やや急ぎ足で道を下り、本堂のエリアに戻る。
本堂以外の写真を少し撮ってみる。
中門をくぐり、惣門を出ると、石畳の先に大鳥居がそびえる。結界はここまで。石段のはるか先に生駒の市街地が見えた。
参拝のあとは、近くにあった摩波楽茶屋(マハラジャヤ)というバリ風エスニックの店で昼を食べました。(了)
(2012.8.04 記)