国際線が少ないウラジオストクの空港では、ターミナルの入口を入った目の前がもう入国審査場だった。窓口が三つあり、それぞれに数人が列を作っていた。
私は中央の列に並んだ。
すると、前に並んでいた女が後ろの誰かを手招きする。
——なんなんだ、この女は。
私はいきおい不愉快になる。目の前のコネ女はおそらく自分の人脈を最大限利用して世渡りをする手合いかと思われた。
呼ばれたのは子どもだった。自分の子どもか引率の子かは知らないが、自分の横に来いと呼ぶ。しかし、子どもはすでに常識をもっているのか、あるいはコネ女の言葉に従うのを潔しとしないのか、私の前に割り込んできたりはしない。私の斜め後ろに遠慮がちに控えていた。
——よろしい。
ロシアにも将来を嘱望される若者がいたのだ。私は少し気を取り直して順番を待った。
入国審査は、ブラックリストに載っていないかぎり、たんなる事務手続きで終わる。現在ではあれこれ電子化されているようなので大して時間はかからない。数人の列も十分足らずで消化され、吐き出された先が手荷物受取所(バゲッジクレーム)であった。
懐かしい手荷物と再会するまでには、案の定、それなりの時間をじらされた。
私は今回も機内持ち込みのつもりでボストンバッグ1つで来たのだが、新潟でチェックインしたときに機内持ち込みは五キロまでと言われ、私の荷物は七キロを超えていた。LCC(格安航空会社)のイージージェットでさえ機内持ち込みができたのに、と嘆いても始まらないので、私はカメラと貴重品と肩掛けカバンをボストンバッグから取り出して残りを預けていた。
ようやく荷物を取り上げて到着ロビーに出たときには、おそらく九時が近かった。
ターミナルの出口には担当の運転手が私の名前を書いた紙を持って立っているはずだった。しかし、ターミナルの中を探しても外を探しても、見知らぬ旅行者を探しているらしき人の姿は見えない。これがロシアの出迎えかと、先ほどまでのわくわくした気持ちが急速に冷めていくのを感じながら、そこここで出迎えの花が咲くのを横目で見た。
たぶん十分は待ったのではないだろうか。おそらく今の便が本日最後の(あるいは本日唯一の)国際線だろうから、人の数はこれから減る一方だと思われる。幸い周囲にはまだかなりの人が残っているので一人で取り残される心配はなさそうだが、そうはいってもちょっと遅過ぎはしないか。旅行会社からは現地旅行会社の電話番号のほか、空港で会えなかった場合の連絡先をもらっていた。日本語ガイドの携帯の番号であるらしい。到着早々に待ち人来たらずの切ない旅はしたくなかったが、少なくとも現在の状況は確認しておいたほうがよさそうだった。
多少の不安はあった。
旅程表に書かれている電話番号はどれも頭に「7」が付いており、これはロシアの国番号と思われた。固定電話の場合はその後ろに10桁の数字が、また携帯電話の場合は9桁の数字が続いている。形からすると、日本からロシアに国際電話を掛けるときの番号になっている。
じつはそのことは出発前に気づいていた。しかし、ネットで調べてもロシア国内での電話の掛け方がなかなか見つからず、どうせ電話することなどなかろうとの希望的観測に基づき、調査を早々に切り上げたのだった。安全情報などは事前にネットで調べておく必要があるが、電話の掛け方は必ずしも必要がない。どうしても必要になったらその場で人に聞けばいいのである。
日本語ガイドの携帯にいきなり掛けるのも気が引けるので、まずは旅行会社に掛けてみる。とはいえ、土曜日の午後九時にオフィスに人がいるとも思えない。あくまで手順のひとつであり、予行演習である。
自分の携帯電話から掛けるので、市外局番の「4232」からダイヤルする。呼び出し音が当然聞こえるものと思ったが、いきなりテープの音声が流れ出す。ロシア語と英語のアナウンスがエンドレスで繰り返される。NTTでいえば「お客様のお掛けになった電話番号は……」みたいな、まるで告白した女性から「これからもお友達でいましょう」とにっこり笑われるような、やさしい拒絶であった。
——ぎょえ。何がいけないのだ?
だめもとで頭に「7」を付けて11桁をダイヤルしても同じである。試しに市外局番を除いた6桁をダイヤルすると、ファックスの受信音のようなピーッという高い音が聞こえた。
まずい状況かもしれない。「7」を付けても付けなくてもアナウンスが流れ、最後の6桁だけでは当然つながらない。固定電話にすらつながらなければ、携帯電話につながるわけがない。
——人に聞くしかないな。
周りを見ると、ちょうど私の横に先ほど声を掛けてきた白タクの運転手がいる。声を掛けられたのも何かの縁であろうし、この男なら私がこれから市内に向かうのを知っている。
「すみません(イズビニーチエ)」
紙に書かれた日本語ガイドの携帯番号を見せ、ここに掛けたいと英語で言ってみる。状況はわかったようで、男は仏頂面をそのままに、自分の携帯電話で数字を押し、ディスプレイに「8」と表示した。そして、ごつい指で日本語ガイドの携帯番号を指さした。どうやら頭に「8」を付けてダイヤルするのがここでの流儀であるらしい。
おかげで日本語ガイド氏の携帯につながった。
ガイド氏は、運転手とガイドには連絡してあるので「少し待ってください」という。詳しい状況は不明だが、少なくともこちらに向かっていることがわかったので、あとは全力で待つばかりである。
電話を切ったあと、隣りの白タク・ドライバーに「ありがとう(スパシーバ)」と礼を言った。何の義理もない、というか、むしろ勧誘を断った外国人に携帯電話の掛け方を教えてくれたのだ。仏頂面で客引きをしてはいるが、よく見ればプーチン首相のような鋭利な顔ではなく、朴訥な労働者風の顔である。根はいい人で、きっと家族のために頑張って働いているのだろう。
男「グルーク?」
私「ロシア語はわからないです」
男「フレンド?」
私「はい(ダー)」
会話はそこで途切れた。旅行者と白タク・ドライバーの間にはただ利害関係しか存在しないが、男はしばらくの間、市井(しせい)のロシア人に戻ったようだった。
それからさらに十五分か二十分ほど経ってようやく背の低い一人の女性が現れた。
「キタムラさんですか?」
私の名前を確認し、駐車場の車へと私を案内する。あとで聞くところによると、送迎車がパンクしたので彼女が代理として空港に来たらしかった。本来なら運転手と日本語ガイドの二人が来るはずなのだが、今日は彼女が運転手を兼務した。単なる送迎なので一人で十分である。
空港から市の中心部、そしてホテルまでは、事前の情報どおりに1時間ほどかかり、ホテル「プリモーリエ」に到着したときには十時半を少し回っていた。