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ことざっき
外国語をめぐる少しオタクな雑文
(4雨が降る
 空から雨や雪が降ってくるのだから、雨や雪が降る、という言い方は日本語ネイティブとしてはきわめて自然な表現である。ところが欧米人はなぜかこれを動詞一語で言ってしまう。すると主語の席が空く。仕方がないので、天候を表す主語などという意味不明の代名詞をもってくる。
 確認の意味でいくつか例を挙げてみる。実際の会話や文で「雨が降る」とだけ言うことはまずないだろうが、形の話なので雰囲気を見ていただければ十分である。
 英:It rains.
 仏:Il pleut.
 独:Es regnet.
 葡:Chove.
 露:Дождь идёт.
 おもしろいことにロシア語では「雨」が主語になる。赤の下線を引いた単語が雨である。動詞 идти(3人称単数現在:идётは本来は「歩いて行く」という意味だが、守備範囲が広く、雨や雪が降ると言うときはこの動詞を使うようだ。
 他のスラブ語はどうか少し調べてみた。上と同様、雨の単語には赤の下線を引いてある。
 チェコ語〔西〕:Prší.
 スロベニア語〔南〕:Dežuje.
 クロアチア語〔南〕:Kiša pada.
  (西=西スラブ語、南=南スラブ語)
 チェコは地理的にほとんど西欧であるためか、チェコ語は一語派である。言語としてはスラブ語のなかの西のグループ(西スラブ語)に属する。スロベニア語とクロアチア語はともに南のグループ(南スラブ語)に属するが、一語派と雨主語派に分かれた。スロベニアは昔からオーストリアとのつながりが強いようなので、これも西方の影響が大きいのかもしれない。
 クロアチア語は雨主語派である。したがって、ロシア語が特別変わっているわけではなさそうだ。ちなみに、ロシア語は東スラブ語である。
 それではアジアの印欧語はどうだろう?
 ネパール語は語順などの感覚が日本語に近いが、やはり雨主語派であった。
 ネパール語:पानी पर्छ (pāni parcha)
 ネパール語では「雨」専用の単語はなく「水」がそのまま「雨」を意味する。動詞 पर्नु (parnu) は意味が広く、さまざまな単語と組み合わさって意味を作る。雨 पानी (pāni) や雪 हिउँ (hiũ) と組み合わさると、雨や雪が「降る」になる。
 ついでに東南アジアの代表としてビルマ語を調べてみた。ビルマ語は「雨、降る」という言い方のようだ。ビルマ語を選んだのは単なる私の好みであり、言語学的な意味があるわけではない。
 ビルマ語:မိုးရွာ (mo: ywa)
 これだけの例で即断することはできないが、ざっくり見たかぎりにおいて、一語派は西欧的という印象を改めて受けた。
 最後に中国語の例を示したい。
 中国語の構文は基本的に SVO だが自然現象を表す文「現象文」というらしい)などでは発生や状態に主眼が置かれ、動詞が堂々と主体の前に出てくる。いわば動詞下剋上文である。こうした文を「存現文」と呼ぶ。
 英語でも Here comes the train!(列車が来た)とか There goes a flock of birds.(鳥の群れが飛んでいく)などの表現があるが、存現文では動詞が常に主体の前に来る。で、雨が降るの文である。動詞(下と落)が前に来ている。
 北京官話:下雨。(Xìa yǔ)
 広東語 :落雨。(Lok6 yü5)
 具体的な状況がなく、ただ「雨が降る」というだけの文はいかにも味気ないが、いろいろな言葉の表現を集めてくるにはシンプルでいいかもしれない。
〔参考〕
・  colloquial SLOVENE, Andrea Albretti, Routledge, 2001 (p.101)
・ 『基礎ネパール語』(石井 溥、大学書林、1986年)88〜90ページ
・ 『ビルマ語四週間』(大野 徹、大学書林、1986年)文例47, 171ページ
・ 『初めて学ぶ広東語』(千島英一、語研、1993年)202ページ
(2013.10.27 記)